2006年ワールドチャンプへの道3

V.ワールドチャンプへの道程


 しかしですね、ラルーサ監督のファンを長くやっていると、やっとワールドチャンピオンになった!という喜びと同時に、06年のこのチーム、なんだかなあ・・・?という気持ちがあるのだね、正直なところ。
90年、92年のオークランド・アスレティックス、96年、00年、01年、02年、03年、04年、05年のセントルイス・カーディナルスと、いったいどう違うねん?27勝でサイヤング賞受賞とか、サイヤング賞とMVP受賞とか、ゴールドグラブ賞が4人いたチームだってあるんだよ。
ずーっと心に引っ掛かっていたのですが、これを書きつつ気が付いたことがあるのです。
 まず、監督はジーニアスであるから、問題ないはず。投手は大事、投手が数人揃っていて、しっかり投げてこそ、投壊しては打線にも影響する、でも大砲だけで勝てるもんやない。しかし、投手がいかに抑えても、得点出来ないとだめ、固まってしまって大砲が打てないことが多いもん。なので、勝ちあがるための条件は、相手打線を抑えて、かつ点を入れる、当たり前のことなのだけど、得点するためには、打線のつながりが必要なのであった。そー、06年のチームには、つながりをつける人が、きちんといた。しっかりと仕事をしていたのだった。そして、今まで、勝ち残れなかったエリートチームのキーマンは、やはり故障者だったのだ。今年のチームは、投手陣の要のケガ人が2人出たが、プレイオフより以前だったので、若いこわいもの知らずのルーキー投手が何人も、イジ―君の指導で穴埋めの準備が出来ていたこと、そして、つなぎの役割を果たす選手達は、普段通りの活躍をした、ラインアップの中心選手もがんばった。それで水も漏らさぬラルーサ監督の作戦が、きちんと機能したのではないでしょうか。
ラルーサ監督の持ち味が発揮されるのは、オールスター、殿堂入り選手ぞろぞろでなくてもいい、なにはなくても職人芸のつなぎ名人が必要なのだということに思い当たったのであります。
そういえば90年のワールドシリーズでは、シンシナティー・レッズに4連敗した。SPORTING NEWSかなにかの記事で、A’Sが圧倒的有利のはずが勝てなかったのは、「○○か(これは覚えていません)、プレイオフでケガをして出られなかった、ウォルター・ワイスがすごい選手だったかとちらかだ」とあったのを思い出した。ワイス、クラッチヒットも打つし、バントがうまかったんだ、たしか・・・。

 そして、06年のオフシーズン、日本では色々な特集番組で田口選手が出演しておられた。はっきりいって、私は日本人選手がシーズンで打ったり投げたりしてるのを映像で振り返り、レギュラーシーズンも、ポストシーズンも見ていない、インタビュアーが、全然意味のないことを聞くだけなら、興味ない。ほとんどが、メジャーリーグ全体の今シーズンを振り返って、には出てこないシーンだし、インタビュアーが、チームの様子すら知らないのに、興味深い話なんか、出てくるわけないじゃんか。でも、田口選手のシーンは、カーディナルスのワールドシリーズ優勝の軌跡そのものなんである(欲を言えば、チームについてもう少し説明がほしいのだが)。何度でも流してちょうだい、と言いたいほどだ。それに
田口はいまや、日本一とワールドチャンピオンの日本人2人目の経験者である。しかも、仰木、ラルーサ両名将の教えを受けた、野球界のエリート中のエリートといっても大げさではない。彼の立場でしか言えない、貴重な意見なのだから、どんどん出て、しゃべってちょうだいっ、みんなしっかり聞くのよっ、と申し上げたい。
 ところでBSフジの番組では、田口選手が登場したとたんに、かつてBSで西田善夫アナに、「しゃべる大リーグ、歩く大リーグ」と称えられた福島良一さんが、感極まって涙が出てきちゃったと、可愛いお目目を拭っておられた。思えば1996年春、野茂投手が対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦でデビューしたとき、福島さんは、BSで解説されたのだが、嬉しくてコーフンのあまり眠れなかったと、目を輝かして午前5時からの生中継をしておられたものだった。福島さんはたしか、1968年のセントルイス・カーディナルスの来日から、ファンになられたはずだ。日本のメジャーリーグファン、野茂以前から見ているファンにとって、野茂投手のデビュー、その後の日本人選手の活躍は、どの瞬間をとっても心底感動ものだが、06年のポストシーズンで、田口選手が日本人らしい堅実なプレイで、ラルーサ監督のキーマンの役目をしっかり果たした結果、セントルイス・カーディナルスがワールドチャンピオンになったなんて、ほんとうに夢に描いた以上の出来事なのだ。
 
 BS−NHKで初めてワールドシリーズが放送されたのは、1989年のサンフランシスコ・ジャイアンツ対オークランド・アスレティックスであった。シーズンの大リーグ中継は、87年からではなかったかな、当時の史上最強チームと言われたのが、もちろん、ラルーサ監督のオークランドA's。その頃、放送に携っておられた方々の実況、解説からは、日本のプロ野球の問題点や解決策を、メジャーリーグ野球をお手本に、という意気込みが伝わってきたものだった。(おそらく、日本プロ野球機構に言っても聞く耳もたなかったんでしょうね)最後の手段としてファンに情報を伝えれば!とか、プロ野球選手には、ぜひメジャーリーグの大舞台を目指してほしい、日本の野球の未来を見据えて、最高レベルのベースボールのおもしろさ、すごさを見てもらおうと、そういう目的を持って、しっかり解説をされていたことは、見ていた者には誰でもわかることであった。彼らは、目の前のゲームだけでなく、メジャーリーグからマイナーリーグ、日本のプロ野球に日米野球、日米大学野球、社会人野球や高校野球、ニグロリーグ、歴史的な記録から今現在の成績、故障者の話、メジャーリーグ機構から球団経営、ファンサービスやチャリティーまで、知らぬことがないほどのおそるべき博識の面々であった。彼らの上質の対談は、毎回ものすごく勉強になったものである。
それがなぜか、野茂投手メジャーリーグ入りの1、2年前から、あれほどの解説者を邪険にするアナ(要するに、勉強が足りないので話について行けず、解説者に話を向けられるのを嫌がっていたのだね)が登場、アナが相槌も打たず、いやそーな顔さえする、録画なのに急に大声で実況を始めて話題が途切れて、遠慮されてしまって貴重な話が聞けないという、本末転倒の馬鹿げた事態になったと思ったら、あっという間に彼らは消えていった(博識アナは、後進の指導をされなかったのであろうか・・・)。そして、目の前のゲームに出ている選手の名前も覚えようとしない(ひどい人はね)、元プロ野球選手の解説者ばかりになって、今日に至っている。番組は続いているが、ただ日本人選手にスポットを当てるという、安易な姿勢で、目的意識もない番組なのは心の底から残念でならない。そして、博識な先達は忘れ去られたような存在になったのであった。しかし、(生徒のひとりであったつもりの)私は忘れてませんからねっ。
 
 野茂投手がドジャース入りしたときも、イチローちゃんが活躍したときも、日本でメジャーリーグの開幕ゲームが行なわれたときも(メッツ対カブスのときだっけ、森中アナが「私達もまさか、日本で開幕が行われるようになるとは夢にも思いませんでした」と言ったのには驚き呆れて、テレビの前でツッコミを入れた私・・・)、大リーグ中継創設の頃の方々がどうしていらっしゃるだろうか、彼らの嬉しさはいかばかりであろうかと、いつも思い出していた。
彼らの解説の目的であったはずの、野球、ベースボールの発展は、野茂がマイナーリーグやアマチュアのチームを作り、イチローちゃんが異常に熱心になって、WBCで日本野球のレベルの高さを、アメリカで見せる機会をのがさなかったことでもわかるように、しっかりと受け継がれて、しかもかたちになってきたではないか。これはまさに彼らの功績なのだ、彼らの解説なくして、ただゲーム中継だけをしていたのでは、野茂投手がメジャーリーグ入りしたかどうかもあやしい・・・。放送開始してわずか8年で日本人メジャーリーガー実現、しかもスト後のメジャーリーグ復興の切っ掛けを作ったほどのブームを巻き起こしてからに、そして日本人メジャーリーガーへの道を切り開き、その後もスター級の選手を輩出しているうえに、とうとう、ワールドシリーズ貢献選手が日本のプロ野球出身者から出てしまったのだ。20年以内にこれだけの実績を生んだ番組が今まであっただろうか。まったく、日米のコミッショナーから表彰されるべきだとさえ思う。彼らにも、チャンピオンリングを!
いや、いつの日か、クーパーズタウンの日本コーナー(を作ってもらってね)に、ぜひ、彼らの写真や放送された録画と録音を置いて、いつでも聞けるようにしてほしいと提案したい(って、NHKで永久保存していてよね)。
 福島良一さんは(ったく、甲高い声といい、テンション高さといい、パンチョ氏が乗り移ってるかのよう、襲名されればいいかも??)、「06年、ワールドチャンピオン、田口壮の名前は、永久に残るんです」とおっしゃっていた。田口選手も深く頷いていたが、これこそがあれほど福島さんが感激される所以である。12月に出来あがったという、
ワールドシリーズ・トロフィーには、監督、コーチ、トレーナー、選手全員の名前が刻まれているはずである。20年後、カーディナルスがワールドシリーズに進んだりしたとき、田口が始球式に呼ばれ、大拍手とスタンディングオべーションで迎えられるのは、間違いない。優勝パレードで田口選手にアイラブユーと叫んだという、昔のお嬢さんもきっと健在で、もっと元気に叫んでくださるかもしれない・・・・。

 そういえば、BSの田口特集で、田口選手が、映像を見ながら解説しておられた。ラルーサ監督も、アニマルレスキューの上着を着て、インタビューに登場された。田口選手は、彼に選手起用や戦法など質問しても、言いよどむことなく納得いく答えをされると感心していた。(私はメディア対応も監督の役目なので、評論家対策として普段からそうなのだと思うが)また、田口選手は、この監督ならば、何があってもついて行くと言っていた。はっきりと説明していなかったようだけど(他の番組でしゃべってたのとあわせて、私の推測をいれてみますと)、彼のそういう姿勢、つまり選手を信頼してやる気にさせて、その選手に出来るプレイを要求し、その積み重ねでゲームに勝つ、ゲームに勝って優勝するために、彼のすることはすべて野球人として筋の通ったことだと納得できるのだろう、選手が信頼するに足る監督→選手冥利に尽きる、一生ついて行きます、ということなのではないかと思う。
ラルーサ監督も、田口をマイナーに落としたが、そこでくじけて辞めるやつもいるのに、田口は野球への情熱を失わなかった、田口はビッグゲームにも動じない、しっかりした選手だと、称えておられた。以前に、田口インタビューで、そろそろ出番かなと思うとき、監督と目が合う、というコメントもあったし、ラルーサ監督は、ご自分の意向をしっかり汲んでプレイ出来る、片腕みたいな頭の良い職人選手を得て、ほんとに満足だと思う。田口選手は片想いと言っていたが、相思相愛ではないだろうか・・・。あのトロフィーをかこんだ選手全員の記念写真で、ラルーサ監督が特に田口の側でにこっとされているのは、田口選手もわかっているようだけど、田口選手の活躍あってこそ、という気持ちのあらわれだと思う・・・。
それで、もし映画化されればラルーサ役は、Robin Thomasがいいと思うのだが・・・(関係ないか)。

 ところで、田口選手にはぜひ本を書いていただきたい。「何苦楚日記総集編」副題を「仰木野球とラルーサ野球、頂点を極めた戦術を知る唯一の漢(おとこ)」というのはいかがかしら〜?私がゴーストライターになってもいいですよ〜(と、売り込んでみる)。
それと、阪急甲東園の駅から関西学院まで、田口選手のパレードがあればなあと思うこの頃である。
私は行きたいっ!アイラブユーと叫ぶかどうかは、わからないが・・・。


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