TV series' Episode
Ensemble SeriesLA LAW
1986年9月〜94年5月まで
172話
エミー賞ドラマ部門作品賞を3年連続を含む4度受賞した、ロスアンジェルスの法律事務所が舞台のアンサンブルドラマシリーズの名作。スティーブン・ボチコーとテリー・ルイーズ・フィッシャーの共同製作で、ハリー・ハムリン、ジミー・スミッツなど、このシリーズで有名になった俳優も多い。野球関係では、コービン・バーンセンが離婚専門弁護士(後にエンターテイメント関係も)アーノルド・ベッカー役で人気を博していたときに映画「メジャーリーグ」に出演し、その頃、弁護士事務所対抗のソフトボール大会で彼が活躍するシーンも作られた。「メジャーリーグ」の監督役のJ・ギャモンも、後半に何度かゲスト出演していた。また、ベッカーのオフィスのいちばん良く映るところには、当時のドジャースのトミー・ラソーダ監督と彼の写真と、当時レイカーズのスター選手だったマジック・ジョンソンとの写真が、番組開始当初からずっと飾られていた。
もうひとつは91年春だったか、当時オークランド・アスレティックスのリッキー・ヘンダーソンが、春のトレーニングキャンプになかなか来なかったことがあった。ホゼ・カンセコの契約が彼のを上回ったために、例によって機嫌を悪くしていたのであるが、USA TODAY紙に載っていた当時のA’sのGMで、ハーバードロウスクール出身の元弁護士でもあるサンディ・オルダーソンの「リッキーは「LA LAW」に例えると、アーニー・ベッカーだな」というコメントにびっくり。また、本物の弁護士も見ていることを、最初に知った瞬間でもあった。
日本での放送は1、2年遅れだったので、その後アーニーが事務所への不満を募らせ夜逃げのようにして事務所を出たが、渋々戻ってくるというエピソードがあり、わがままリッキーと同じく自己チューのアーニーの行動が、確かに酷似しているように見えた。さすがオルダーソンGM、現在はMLB機構のエグゼクティブである。
HOMICIDE
life on the street
1993年1月〜99年5月まで
122話+TVM(2000年)
「NYPDブルー」「LAW & ORDER」と共に、90年代の3大刑事ものシリーズと言われる、メリーランド州ボルチモア市警察殺人課の個性的な刑事たちを描くアンサンブルドラマシリーズ。
97年の第6シーズン2話(79話)のサイドストーリー。「今日の先発は?」「ジミ―・キィ」「じゃあ、今日も勝ちだな」当時、プレイオフ進出がかかっていたボルチモア・オリオールズのためにラジオから「ファンの皆さん、くれぐれもインプレイ中のボールには触らないように」とのDJの忠告が流れるなか、殺人課にオークランド・アスレティックスを迎えてのデイゲーム中の「カムデンヤード殺人事件」の第一報が入る。現場に向うマンチ、ケラマン両刑事には、ガーティー刑事から「バーチャル野球ゲームをやっているので、ベニテス投手がどれくらいセーブがあげられそうかオリオールズの選手に聞いてくれ」またファルゾン刑事からは「オリオールズが勝つように、カンセコ、ジアンビを(取調べを装って)8回くらいまで足止めできないか?」との声がかかる・・。外野の被害者の席の後ろの観客に聞き込みをすると、被害者はニューヨークから観戦に来たヤンキ―スファンで「デイヴ・ジョンソン監督は、アイスクリーム売りの監督も出来ない」「カル・リプケンは、鋼鉄のグローブで守っている」と、オリオールズの悪口ばかり言っていたと話すが、刑事たちが立っているとゲームが見えないと文句を言い、ジェシー・オロスコとTJ・マシューズに投手が交代したの、代打が出たのとゲームに熱中、殺人事件だぞと刑事が言っても、「え?ジミ―・キイが死んだの?」という反応しか返ってこない有り様・・・。で、ビールを買っていた未成年の少年から、なんと被害者と一緒に来た容疑者とおぼしき人物が後ろの席でまだ観戦していることを聞き出して捕まえ、審判控え室のようなところで事情聴取したのだが、7回表で同点なので「ホットドッグとビールを持ってきて、ブラインドを上げてゲームを見せれば、終わった後に話す」だと・・・。で、結局、手錠を掛けられて署に連行されながらも「トニー・タラスコの代打ホームランでオリオールズが勝ったなんて、ついてない」と、ぶうぶう。殺人の動機についても、雨で順延のヤンキ―ス戦だと言われてわざわざ来たのにアスレティックス戦で、そのうえ被害者が酔っ払って「ロベルト・アロマ―はアメリカン・リーグ最高の2塁手だ」(その通りじゃないか、とケラマン刑事)と言った挙げ句に、96年のプレイオフで「子供がボールに触ってホームランにしなければ、オリオールズが勝っていた」と言われて、カッとなって階段から突き落としたのだと、罪悪感もなくべらべらとしゃべっていた。で、犯人を車に乗せたところへ、わざとらしくスコット・エリクソン投手と、アーマンド・ベニテス投手が通りかかると、マンチ刑事が(ベニテスが側にいるのにもかかわらず)エリクソンに「ベニテスは、どれくらいセーブがあげられそうか?」と聞くと、「さあ、本人に直接聞けば?」で、ベニテスに聞くと、「ほっといてくれ(Give Me A Brake)」だって・・・。
また、その3週後のニューヨークが舞台の「LAW & ORDER」とのクロスオーバーの後編のエピソードでは、ボルチモアの女性判事が「LAW & ORDER」のニューヨークの地方検事補(サム・ウォーターストーン)に「アダムは元気?」と聞き、10年前に彼のところで地区検事をしていたが、自分はメッツファンで彼はレッドソックスファンなので、バックナーがトンネルをしてから自分に冷たくなったのだと話していた・・・。
*「子供がボールに触ってホームランに〜」96年のプレイオフ、ヤンキ―ス対オリオールズ戦で、ヤンキ―スのデレク・ジーターのライトオーバーの打球が、観客席から差し出されたグローブに当たってスタンドイン、本当ならアウトだが、ライト線審のR・ガルシアがホームランを宣告、ヤンキ―スが勝った。ボールをキャッチしたのは他の観客だったらしいが、グローブの坊やは一躍ヒーローとしてトークショーなどに引っ張りだこになり、翌日のニューヨークの新聞には、「Angel
In The Outfield」の見出しが躍っていた・・・。打たれたオリオールズの投手は、言うまでもなくアーマンド・ベニテスだった。
CHICAGO HOPE
94年10月〜00年5月まで
デビッドE・ケリー製作のシカゴの病院が舞台のアンサンブルシリーズ。
心臓外科専門医ガイガーには、精神病院に入院中の妻がいるのだが、彼女が急に彼と離婚して結婚したいと言い出した。相手は同じ入院患者で、ボストン出身のレッドソックスファン。あの86年のワールドシリーズ、メッツ対レッドソックス戦がきっかけでビョーキになった元弁護士で、彼女は自分もカブスファンなので気持ちがよくわかり意気投合したのだという・・・。ガイガーは会いに来た妻の婚約者?に刺のある言葉を浴びせる。相手はその「バッキー・デント」の一言で目をむいてキレそうになるのだが、付き添いの精神科医が注射や投薬でなく、急いで67年のプレイオフに勝った話を思い出させて落ち着かせるところがすごかった。例によって裁判になり、ビョーキとはいえさすが弁護士だけあって、ガイガー側の形勢不利とみた病院付きのバーチ弁護士が、こっそり彼の耳元で有名な86年のワールドシリーズ第6戦、延長10回裏の実況を見事に再現。「メッツのバッターはムーキー・ウィルソン、打った〜一塁への内野ゴロ、お〜っとビル・バックナー、トンネル〜」もちろん「やめろ〜」の絶叫とともに法廷は修羅場になり裁判は無効、婚約者は病院へ逆戻りとなった。
脚本も書いているデビッドE・ケリーは、ニューイングランド地方の出身でアイスホッケーファンらしいが、おそらくはレッドソックスファンだと推定される・・・。
バッキー・デント 「大リーグ雑学ノート2」福島良一著によると、78年、14ゲーム差から追いつかれたレッドソックスとヤンキースとのワンデイプレイオフで、逆転3ランホームランを打ったヤンキースの選手。現在、テキサス・レンジャースコーチ。
Action Series
WALKER、TEXAS RANGER
93年1月〜01年5月まで
チャック・ノリス主演のアクション・シリーズ
前年92年8月31日に、オークランドA’sからテキサス・レンジャースへ劇的にトレードされたホゼ・カンセコ。次のシーズン開幕前だったか、SI誌の記事にTVシリーズに引っ掛けた記事が掲載されていた。他のものは思い出せないけど、「CANSECO、Texas Ranger」だけは、忘れられない・・・。
もちろん2000年オフの目玉フリーエージェント選手、Alex Rodriguez(A−ROD)のテキサス・レンジャース入団も、「A−ROD、TEXAS RANGER」という見出しだったのは、言うまでもない。その後も、レンジャースに入った選手はこのパターンの見出しが慣例のようになっている。
MAGNUM,p.i.
1980年12月〜88年4月まで
162話(日本では6シーズンまで?)
ベトナム戦争に2度従軍した元ネイビー・シールで、除隊後はハワイで気楽な余生を過ごしている感のある私立探偵のトーマス・マグナムとその仲間を描いたアクションシリーズ。マグナム役のトム・セレックが大ファンだという、デトロイト・タイガースの帽子がマグナムのトレードマーク。セレックが一躍大スターになったからか、ドラマの中でのマグナムは、せっかくのお楽しみに邪魔が入ったり、みっともなく殴られるシーンがお約束のように登場し、個性豊かな仲間との会話もみどころのひとつで、コメディー色もたっぷりなのであった。野球関係では71話(83年)、マグナムがせっかくデトロイトまで行ったのに、仕事でテレビ中継も見れず、事件が片付いてもタイガースタジアムのチケットが売り切れ!(タイガース、強かったんだ)そのことをバーでこぼしていると、隣にいた(80年代初めの)中心選手アラン・トラメル&ルー・ウィテカーが良い席のチケットをタダでくれるではないか。で、「オレ達、2塁と3塁の間にいるからな」「待ってよ、そんなとこに席ないじゃないか」彼らが誰か全然気が付かないマグナムだったが、バーのマスターに教えられると、人が変わったようなデレデレした野球ファンの表情になったのが忘れられない。念願かなってゲーム観戦、そしてクラブハウスで他の選手にも紹介してもらえるはずだったのに、案の定ハワイから「親友TCの危機だ、帰って来い」の電話が入り、ホットドッグを捨て、がっくり肩を落として(これも決まりのポーズ)スタジアムを後にしたのだった。
また、一時準レギュラーだった「ハワイのコロンボ」というべきタナカ警部もなぜかタイガースファンで、ふたりでタイガースの噂をしたり、ちょうどCATVが普及しはじめた頃らしく、夜中にタイマー付きのポップコーンマシーンでポップコーンがはじけだすと、マグナムが目覚まし時計で起き出し、グローブ、バットなどを持ちタイガースのキャップをかぶって、テレビの前に陣取り、オリオールズ対タイガースの優勝をかけた一戦を見るシーンには親近感を持ってしまった。もちろんこのときも事件が起きてゲームが見られなかったのは、言うまでもない。
RIPTIDE
1984年1月〜1986年4月まで
58話
ベトナム帰還兵、元MPの2人と、ビル・ゲイツの若い頃みたいな天才コンピューター科学者が主役のスティーブンJ・キャネル製作のアクションコメディ探偵もの。あるエピソードで、マイナーリーグのチーム内で誰かが狙われているらしい、という調査を依頼され、選手と実況アナとして潜入したのだが、他の選手に主人公のニックが話しかけるシーンで、「あのですね、ホセ、いわゆるですね、ばっちんぐの〜」ニック役の声優、神谷和夫氏のナガシマまねっこが絶妙だった。
Science Fiction
STAR TREK
DEEP SPACE NINE
1993年1月〜99年6月まで、
176話
新スタートレックの姉妹編で宇宙ステーションのDS9が舞台、スタートレック第3のシリーズといわれる。
DS9の司令官ベンジャミン・シスコはベースボールファンなのだが、24世紀ともなると、ベースボールは廃れて、どこか遠くの星で細々と行なわれていたりする程度らしい。シスコ司令官はガールフレンドのキャシディとは、ベースボールの話がきっかけで親密になったと言えなくもない。また「新スタートレックTNG」で、ジョー・ディマジオの連続試合安打記録は、「21世紀のロンドン・キングスのアジア系の選手(ボカイとかいう名前)が記録更新する」と、データ少佐が言いかけたことがあったが、DS9では、その選手のホログラムが登場。スポーツ選手らしくなくコロコロとよく太ったお方で、記録更新時のスタンドはがらがらだったと言っていた。ファンとしては、ちょっとさびしい。
もうひとつはシスコ司令官の息子とその友達(フェレンギ人のノーグ)が、父が大ファンだという20世紀のそれも60年代の大スター選手ウィリー・メイズの野球カードを手に入れようと、苦心惨憺するストーリーがあった。シスコ司令官役のエイブリー・ブルックスが、年代的にメイズのファンの気がしないでもない。
また5シーズン目ラストは、連邦宇宙艦隊がDS9を撤退した後に乗り込んできたカーデシア人のガル・デュカットが、シスコ司令官のデスクの上にある野球のボールを発見、「必ず帰ってくる」というしるしだと言っていた。さすがガル・デュカット、よくわかってる。
スーパーchで放送中の最終7シーズン第4話(157話)、その名も「Take
me out to the holosuite」。
連邦の宇宙船スカンドラが修理のためDS9に寄港したが、この艦の艦長バルカン人ソロックは、シスコ司令官とはアカデミーで同級生で因縁のライバル、のっけから皮肉っぽくバチバチと火花散る会話だったが、ソロックがシスコに上級士官を集めてのホロスイートでのゲームを持ちかけた、これがなんとベースボール!
シスコはレギュラーを集め、2週間後にこの宇宙域一優秀だと証明しようとやる気満々だったが、フェレンギ人3人にトリル人、クリンゴン人にベイジョー人が2人、地球人も、野球外国!アラビア人とアイルランド人なので、まずルールから勉強しなくてはならなかった。クアークのバーで「ホームにランナーはいないのか?」というウォーフに、インフィールドフライのルール以前にフライボールが何かわからないキラ・ネリス、バントとは?グランドスラムとは?(昔の名試合、例えば1986年のワールドシリーズ、メッツ対レッドソックスをホログラムで再現し、それを見ながらシスコが解説すればいいのに、これでは野球ファンでさえおもしろさがわからないではないか!)
とはいうものの、見るからに運動神経の無さそうなフェレンギ人のロムが、シスコと息子ジェイクが野球で親子の絆を深めているとノーグから聞いているので、自分も息子ノーグとの絆を深められればとチーム入りを志願するところは、野球がアメリカの伝統的なスポーツで、National Pasttimeと言われる意味をちゃんと押えていたのであった。で、初練習では、シスコ司令官はサンフランシスコ・ジャイアンツ(全盛期が60年代)の帽子を、息子のジェイクはアトランタ・ブレーブス(90年代最高のチームと言われる)の帽子を被り、ジェイク’スライダー’シスコと紹介するなんて、ジェイクはトム・グラヴィン投手とかグレッグ・マダックス投手のファンなのかも?
そして練習前にシスコ司令官は、「野球で大事なのは勇気と信頼、なかでも肝心なのは心だ、これがバルカン人には欠けているものだ」とスピーチするが、なれない練習で故障者続出、シスコは裏から手を回しキャシディーを呼び寄せて3塁手に加えた。尚、審判は、保安チーフのオドーが「ステーション一公平な人物」と、シスコが選んだが、彼はオフィスでひとり、セーフ、アウトのコールの練習をしていたところが笑えた。
また、あくまで勝ちたいと、チームのお荷物ロムをクビにしたシスコにレギュラーは反感を持つが、キャシディーがシスコから、アカデミー時代のソロックとの「感情と論理のどちらが優れているか」論争で、酔ったはずみでついレスリングで勝負を挑みぼこぼこにされた(バルカン人は地球人の3倍の腕力がある)ことで、ソロックはその後もキャンパスでシスコを指差して言い触らしただけでなく、心理学の論文に取り上げ、卒業後も山ほど書いた論文の前文には必ずシスコとのレスリングの話を書いたということを聞き出し、みんなに話すと、あろうことかシスコの怒りを全員が理解して団結したのだった。尚、チーム名は当然ながら、NINERSであった。
ゲームは惑星連邦の国歌演奏で始まり、1回の表バルカンの攻撃、いきなりジェイク投手の初球をホームランされた後、毎回得点でバルカンチームが大量リード、5回にはキラの2塁打でナイナースにもやっとチャンスが訪れたが、2アウト2−3のウォーフの打席で、球審オドーのストライクコールに文句をつけ、監督兼2塁手のシスコは退場になりスタンドで観戦する始末(ほんとは、スタンドにいてはだめなのでは?)。さて、バルカン10点のリードで、いよいよ9回裏ナイナース最後の攻撃、ノーグの3塁打が飛び出し、ノーアウト、ランナー3塁というチャンスに、スタンドでひとりお公家さんのような拍手のしかたで応援するロムを見たシスコは、監督代理のチーフ・オブライエンを呼び代打にロムを送ったのだったが、とても打てそうにないのでチーフがベシアに「あれ、なんていったっけ、バント?」と、ベンチからチーム全員でロムにサインを送るが、ロムったら、「え?なに?」と言いながら、バットはしっかりスクイズの構えをしていたのだった・・・。ボールは見事にバットに当たり、3塁からノーグがホームイン、これで待望の1点を獲得したナイナーズは優勝したかのようなお祭り騒ぎになった(ほとんど、映画「メジャーリーグ」ではないか)。もちろん、バルカン人ソロックはゲームはまだ終わっていない、勝利を捏造したと抗議したが、審判を突いたかどで退場になっただけであった。
クアークの店での打ち上げパーティーでも上機嫌のシスコと仲間達は、ソロックをからかいたおすのだったが、キラ・ネリスが記念にデスクに飾ってとシスコに投げたレギュラー全員のサイン入りボールがアップになったラストシーンが、印象的だった。
これすなわち、ゲームの勝ち負けよりも、ベースボールを知らないナイナーズ全員にゲームのおもしろさがわかったことが大事だという意味で、「感情と論理のどちらが優れているか」論争にも逆転勝利したということになるのではないかと思う。
しかしながら、やはり7回にはあの歌を歌わなくっちゃあね・・・。
余談ながら、シスコ役のエイブリー・ブルックスは、88年〜90年までアメリカンリーグ連続優勝したオークランド・アスレティックスの4年連続20勝投手、現在はGMを目指しているデイヴ・スチュワートにじつによく似ている。
Sea Quest
1993年〜96年まで、
58話(日本では45話)
ロイ・シャイダー艦長の原子力潜水艦の探検もの。近未来SFで西暦2032年が舞台、食料はみんな合成のもので牛肉はご禁制なのに、ヤミで冷凍のハンバーグを手に入れ船室で焼いて食べようとした隊員が燃料にしたのが、なんとサイン入りの野球のバット。「ノーラン・ライアンV世」のサインに向って、「おまえはおじいちゃんと違って、メジャーリーグにも上がれなかったけど〜」と話しかけながらバットを削っていた・・・。しかし本物のノーラン・ライアンの息子さんには、ノーランJr.という人はいないはずだし、彼は大投手。バットにサインなら、ケン・グリフィーV世のほうがよかったんじゃあ?ということで、このシリーズも、S・スピルバーグ製作と鳴り物入りで始まったが、批評家は最初から「視聴率も潜水艦並に深く沈む〜」と評していたのだった。
Time Trax
1993年〜94年まで、
44話製作
2193年、タイムマシーン(タイム・トラックス)を発明したザンビ博士が、それを使って犯罪者を亡命させていたことが発覚、博士も逮捕直前にタイムマシーンで逃げたことで、主人公のダリアン・ランバート警部が彼らを追って1993年にやって来て、過去でやはり悪事を働く未来の犯罪者を探し出し未来へ転送するストーリー。200年後の人間は、現在とは体力が段違いで骨折などのケガまで治せるヒーリング能力まで身に付け、クレジットカードに身をやつしたスーパーコンピューターの’セルマ’が何でも調べてくれるのだった。で、ランバート警部がパイロット版で200年前にタイムトリップするからと、スミソニアン博物館所有の誰だったかのパイロットジャケットに
エルヴィスのジーンズ(ランバート役のデイル・ミドキフは、ミニ・シリーズでエルビス役を演じたことがある)、マイケル・ジョーダンのブーツを拝借し、最後に科学者(マイケル・ウォーレン)が差し出したのが彼の祖父の選手時代のシカゴ・カブスの帽子、それも2145年の150年ぶりのカブスのワールドシリーズ優勝時にかぶっていたものだと、しばしうっとりとみんなで回顧していたのは情けないほど印象的だったが、この帽子、その後主人公が被ったところは登場しなかった。またこの主人公は、その後も「カブスは勝ったか?」と’セルマ’に聞いたり、ハワイでのカブスのゲームをTV観戦して事件を知ったりしていたが、カブスファンのくせに、93年当時の選手、例えばライン・サンドバーグやマーク・グレイスがどうの〜なんて、決して言わないのは不思議だった。このシリーズ、製作も撮影もオーストラリアで行なわれたので、「フライングドクター」で見た顔がちらちら登場していた。しかし日本での放送は2001年では、未来人が過去(1993年)にタイムトラベルなんて、はっきりいってややこしかったうえ、2シーズン続いたはずなのに最初のシーズンも最後まで放送されず、打ち切りになるとは・・・。
Situation Comedy
BEWITCHED
(奥さまは魔女)
1964年9月〜72年3月まで、
252話
最初の頃のモノクロ版をスーパーchで見たとき、魔女や魔法使いのパーティーで、ダーリンとサマンサが誰かを捜しているシーン?があった。サマンサがひとりの大柄な紳士に「あらウィリー、元気?」と親しげに挨拶すると、ダーリンはぎょっとして「やっぱりな、あんなでっかいホームランは人間じゃあ打てないよ」かのウィリー・メイズが、魔法使い仲間として出演していたのだった。またデパートの紳士服売り場で、サマンサの出来損ないの従兄弟が店員をからかって「ラムで出来た生地」の話をしていたのに、突然フットボール選手が出現。「ボク、LAラムズのジャック・スノウです。ゲーム中だったんだけど?」とんだラム違いの選手はかなりのハンサムだったが、今となってはサンフランシスコ・ジャイアンツのJ・T・スノウの父上なのだった。
M*A*S*H
1972年9月〜83年9月まで
255話+Final1時間
朝鮮戦争時の戦地での陸軍野戦病院(Mobil Army Sergical Hospital)が舞台のシトコム。原作もある。人気も評価も持続して11年というロングランシリーズで、ホークアイ・ピアース役のアラン・アルダが大スターになり、コメディーばかりでなく考えさせるテーマも描いた現代のTVシリーズの基礎的作品ともいわれる。最終エピソードは今も視聴率歴代一位を誇っている。
野球関係では、MASHの1年を描いたエピソードで、メジャーリーグのワールドシリーズ優勝チームの賭けをしたのだが、それは有名な1951年のニューヨーク・ジャイアンツの逆転優勝の年だった・・・。「アメリカ野球珍事件珍記録大全」によると、そのシーズンは8月9日の時点で、ブルックリン・ドジャースが2位のジャイアンツに12.5ゲームの差をつけて独走していたが、3連勝の勢いでドジャースの面々は、クラブハウスで隣のジャイアンツに向ってさんざん野次ったのだが、その屈辱を晴らそうとジャイアンツは2日後から16連勝し、ついに最後の44ゲーム中33勝をあげ首位に並んでしまった。ドジャースはそれに懲りず、15対5でリードしていたのに、ジャッキー・ロビンソンにホームスチールさせたことでブレ―ブスまで怒らせて次の日のゲームに負け、ジャイアンツとのワンデイプレイオフをやるはめになり、ジャイアンツに逆転優勝をさらわれたという・・・。
MASHでは、FENラジオの実況放送を聞きながら、それぞれの登場人物達の反応がおもしろかった。尚、ジャイアンツに賭けたのは、サンフランシスコ出身のBJだけだった、しかしジャイアンツはサンフランシスコに移転する前のはず・・・? FANTASY IRELAND
1977年1月〜84年5月まで、
147話
(日本では1、2シーズンのみ)
魔法使いのロアークさんと相棒のタトゥーが経営する、魔法のリゾートアイランド。
毎回、その人に見合った金額で、3組ほどのそれぞれのファンタジーを叶えてくれるのだが、このときはメジャーリーグの投手になりたい夢をかなえるべく、小柄な男性客がやって来た。好都合なことに、島にはメジャーリーグのオールスターチームが滞在中で、ゲームに登板した彼は、夢のようなひょろひょろ変化球でメジャーリーガーをキリキリ舞いさせたのだが。ジョージとケンのブレット兄弟、トミー・ラソーダ監督、スティーブ・ガービーなど、77,78年当時のオールスターが多数ゲスト出演していた。ちなみに小柄な男性客役は、「M*A*S*H」のレイダー伍長でおなじみのゲイリー・バーゴフだった。
Crazy Like A Fox
1984年〜86年まで
35話+TVM
サンフランシスコが舞台、父親が探偵で息子が弁護士の親子が活躍する、ほのぼのアクション・コメディ。87年にはリユニオンのTVMも作られた。野球関係では、2年目の30話に
息子のハリソン・フォックスがアンティークショップで、キャンドルスティックパークでのハンク・アーロン選手の写真を見付け、偶然客席に写っていた父ハリーへのプレゼントにするが、本人はそのときは球場には行っていないと言い張り、調べると殺人事件のアリバイ証明写真だとわかり・・・。最後には、本物のハンク・アーロンが登場した。
このシリーズ、何度も放映されているのだが、父親の探偵業に振りまわされてばかりの息子が、自分ひとりしかいない弁護士事務所なのにほとんど仕事が出来ないのが心配、という疑問はさておき、父と息子、息子の嫁に孫息子の家族がとても仲が良く、やんちゃな父ハリー探偵もユーモアたっぷりで憎めない、なかなかおもしろいシリーズだった。それに、問題ばかり起しているお気楽な嫁の弟が何度か登場したのだが、それはなんと無名時代のジョージ・クルーニ―だった・・・。
FAMILY TIES
1982年9月〜1989年4月、180話
(日本では一部だけが、10年後に未放送分が放送されました)
マイケルJ・フォックス主演の家族コメディ。数年前のプレイオフ中継の中で、一シーンが使われた。そのシーンでは「マリナーズ対インディアンスのゲームを見に行かない?」というセリフで笑いをとっていたのだが、解説の福島良一氏が、「私、大リーグ好きですが、この頃の対戦なら、マイナーリーグを見に行きました」だって!今ではプレイオフ常連となった両チームが、いかにどん底チームだったかが、よ〜くわかるエピソードではあった。
CHEERS
1982年9月〜1993年5月まで
275話
日本では未公開、アメリカでは大人気だったシトコム。ボストンのバーが舞台で、主役のテッド・ダンソンらがスターになり、ウディ・ハレルソンなどもレギュラーだった。レッドソックス時代のウェイド・ボッグスも出演したという。
スポーツイラストレイティッド誌に、主人公のひとりでバーの経営者のサム・マローンが、ボストン・レッドソックスの投手だったということで、本物みたいに彼の野球カードが載っていたことがあり、back−to−back−to−back 3、4本連続ホームランを浴びたので有名だと書かれていた。99年、メッツ対カーディナルス戦のRAIN DELAY中に、このシリーズが放送されたのだが、彼は電話でこう名乗っていた、「Sam”MAY DAY”Malone」だって。
MAY DAYは、SOSの意味。
SEINFELD
1989年7月〜98年5月まで
180話
日本では、第3、4、5シーズンだけだった?!
コメディアンのジェリー・サインフェルドとその仲間が中心のシトコムで、普段の生活のど〜でもいいことにこだわる、いそうでいないおかしな人達がアメリカでは大ウケ、番組で使われる意味不明の言葉は流行語になり、番組に登場したカフェやスープ屋は観光スポットになるなど、大ヒット作品になった。
で、野球関係では、5シーズン目の最終回、ダメ男のジョージが運を変えるために今までとは逆のことをすると決心し、カフェでいつもとは違うメニューを注文したことから運が開けてきた。いつもとは逆に「失業して親の家に住んでいる」と、本当のことを言うとナンパも成功し、一緒に映画を見ているときに、後ろで騒いでいるヤツらを怒鳴りつけておとなしくさせ、彼女のアパートへの誘いにもいつもならほいほいと行くところを「知り合ったばかりだから」と紳士的に断わると彼女(ミシェル・プファイファーの妹、ディーディー)に気に入られ、おじさんがニューヨーク・ヤンキ―スのフロントに勤めているからと、なんとヤンキ―スのトラベリングセクレタリー補佐の面接を受けられるようにしてくれたのだった。で、面接にもデカイ態度で臨み、廊下にヒッチコック映画の影絵のように現れた、あのジョージ・スタインブレナ―・オーナーにも、「あんたのエゴで20年もの間、オレ達ファンはみんな恥ずかしい目に合ってきたんだ〜!」と、その頃弱かったヤンキ―スファン全員が思っていることを怒鳴ると、「採用決定だ」と鶴の一声で採用されたのだった。「ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ミッキー・マントル、そしてジョージ・コスタンザか?」というサインフェルドのセリフもすごい。「ドン・マッティングリーが、バッティングのスタンスについて聞くんだ〜」と、ジョージは舞い上がっていた・・・。
次のシーズンからは、ダニ―・タータバル、バック・ショウォルター、トニー・フェルナンディス、ポール・オニールが続々とゲスト出演しているので、ぜひ全部放送していただきたいものである。
Spin City
1996年〜 2002年5月まで
マイケルJ・フォックス主演、ニューヨーク市長と彼を補佐するユニークな仲間が中心のシトコム。2000年のシーズンからはフォックスの降板を受け、チャーリー・シーンが主役に。
当時のジュリアーニ市長(1992〜2001)というよりも、レーガン大統領と言った感じの大ボケ市長の、特にマスコミ対策に毎回てんてこ舞いのマイケル・フラハティ(マイケルJ・フォックス)達側近だが、マイケルの30歳の誕生日のエピソード、まだ独身だったら高校時代のガールフレンドとエンパイアステートビルディングの屋上で会うという約束で、彼女(フォックス夫人のトレーシー・ポラン)と再会するのだが、彼女のプレゼントは彼が高校時代に憧れていたドン・マッティングリーの野球カードだった・・・。デビュー時は三振ばかりだったが、その後ホームランキングになり、MVPを獲得したヒーローだったそうだ。
有名人ゲストの多いシリーズで、今後の放送には、野球関係ではヤンキ―スのジョー・トーレ監督、ロジャー・クレメンスがさりげなく出演した。
Frasier
1993年〜
「Cheers」のスピンオフとして知られる。ケルシー・グラマー主演、引退した父親と中年の息子2人との関係、またはもと警官(ブルーカラー)と精神分析医(いわゆるスノッブ、インテリ階級)の価値観の相違が明確に出る会話のやり取りで笑いをとる大人用のシトコム。父のリハビリ担当兼ヘルパーのダフネ、「Dr.フレイジャー・クレインのラジオ相談室」のプロデューサーのロズの女性キャストもかなり個性的で、ジャックラッセルテリア犬のエディーが大人気、エミー賞コメディー部門作品賞なども多数受賞しているロングランシリーズ。
2シーズン目の40話、「Cheers」の主役、サム・マローンがシアトルへやって来た。シアトル・マリナーズのピッチングコーチの面接に来たと言うサムをフレイジャーは自宅へ食事に招くが、父のマーティンは「もと大リーガーはうちの客としては最大の有名人」とおおはしゃぎ、彼の有名な4連続被本塁打もみたぞと挨拶するほどなので、野球とはブルーカラーに愛されるスポーツのようだった。しかしフレイジャーとふたりきりになると、サムは実は結婚式をドタキャンしたと言い、「それじゃあ、マリナーズの話は嘘か?」と言うフレイジャーに、サムは「マリナーズは日本から良い選手を取ったので、コーチはいらない」との日本語のセリフで笑いをとっていた。が、じつは「Beleave
me, no ballplayer in Seattle, because of
the Mariners.シアトルには野球選手はいない、マリナーズのせいでね」と言っていたのだった。年代的にも94年製作では、マリナーズ初の日本人選手であるマック鈴木投手もメジャーデビュー前、今からは信じられないようだが、まだマリナーズは低迷していた頃であった。
(こういう翻訳は仕方ないが、問題は英語のセリフ、ランディー・ジョンソン、ケン・グリフィーJr.エドガ―・マルティネスにジェイ・ビューナー親分もいたのにひどいわあ・・)
後の話は、サムの結婚相手とはフレイジャーも〜、それをサムに言えば友情が壊れるし、というお決まりのストーリーで、結局はなんとか納まるところへ納まったのであった。尚、サムの相手の女性役はティア・レオーニ、デビッド・ドゥカブニ―夫人が演じていた。 HOME
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