BASEBALL MOVIES


Major League
1989

クリーブランド・インディアンスが低迷していた頃製作されたコメディー。ヒットしたもんで、シリーズ化した。コンセプトは、オーナー死亡で後を継いだダンサー出身の若き未亡人が、球団をフロリダに移転したいために、監督、コーチ以下、メジャーリーガーとは言えない選手ばかりを集めて、このうえなきボロチームを結成し、最下位になるようにあれこれ画策するが、その意図がチームにバレ、逆にやる気を起こさせて優勝を争うまでに盛りあがるというものであった。主役のトム・ベレンジャーとレネ・ルッソーの恋愛ストーリーが色を添えている。あるとき、故伊東一雄氏は、MLB実況で、この映画のクライマックス、トム・ベレンジャーが打席に立ち、バットをレフト方向に向けたシーンの解説をされていたことがある。誰もが知っているべーブ・ルースの予告ホームランを模したのだが、次の瞬間、投手が頭を狙ったビーンボールを投げたのでベレンジャーは倒れた、これが実にリアルだと言うことであった。
尚、これは題名の前にトム・ベレンジャー、チャーリー・シーンそして、エミー賞作品賞に輝くTVシリーズ「LA LAW」で当時人気のあったコービン・バーンセンの名前が出ていた。題名の前に名前が出るというのはスターの証なのだが、日本でも「LA LAW」は放送されていたというのに、無名俳優みたいに扱われて悔し涙を流した私であった(失礼)。また、続編にも出演しているお茶目な実況アナウンサーはボブ・ユーカー、実際にミルウォーキー・ブリュワーズの実況とビールのCMで有名な方である。撮影がミルウォーキーの旧球場だったからだろうか。それにその他の出演者はおそろしく出世している。まずはウェズリー・スナイプス、これまた、ウィリー・メイズ・へイズという役で、有名なポケットキャッチまでしてくれたのに、日本ではウィリー・メイズを知らない人が訳したらしく、ウィリー・へイズとなっていたのであった。チャーリー・シーンはほんとに野球ファンらしく、その後、あの1986年のニューヨーク・メッツ優勝の立役者、ボストン・レッドソックスの一塁手ビル・バックナーがトンネルしたボールをオークションで手に入れたが、それがニセモノらしいと話題になっていた。そしてTVシリーズ「24」で上院議員、その後大統領になったデニス・へイスバートである。いったい誰が、この人がペドロ・セラノだったと思うだろうか。たしか「24」では、学校訪問でカレッジ・バスケの選手だった話をしていたシーンがあったが、ここはやはり「マイナーリーガーであった」にするべきではなかったかと思う。彼の出世はやはりブードゥー教のおかげかもしれない・・。

Rookie of the Year
1993

舞台はシカゴ、12歳の普通の少年が校庭で転倒、右腕を複雑骨折して腱も痛めた後ギプスをはずしたら、腱と骨がくっついたかなにかで、驚異的な豪速球が投げられるようになり、カブスに入団、即戦力となった。もちろん、カブスは優勝、というあり得ないコメディー。有名どころの選手は誰も出ていなかった。当時、あんまりやないかと怒るカブスファンと、映画の中だけでも優勝したと喜ぶカブスファン、両方の反応があったと思う。

Field Of Dreams
1989

ケヴィン・コスナ―主演、W.P.キンセラ原作。「それを作れば、彼らがやってくる」であまりにも有名な作品。物語は、主人公のレイ・キンセラの父親と自分の紹介から始まる。父上のジョンはノース・ダコタ州生まれのアイルランド系アメリカ人で、第1次世界大戦従軍後、シカゴに住んでシカゴ・ホワイトソックスファンになり、1919年のワールドシリーズは、かの有名なブラックソックス事件で涙をのんだ。1935年には、ニューヨークのブルックリンへ移り、自身もマイナーリーグで選手経験をした。で、52年生まれの息子のレイにべーブ・ルースやゲーリッグ、シューレス・ジョー・ジャクソンの話を聞かせたという。これって、メジャーリーグファンにとっては、明治維新の志士目撃談とおなじくらい強烈なインパクトがある(反面、出来過ぎでうそっぽいが・・)。とにかくベースボールの歴史の一部の体験者であったようだ。しかし、コスナ―いやレイは、典型的な60年代の青年で父上や伝統的なアメリカに反発したらしく、家からいちばん遠い有名なカリフォルニアのバークレイ校へ進学し、そこで知り合った女性と結婚、彼女の故郷のアイオワ州へ住みつき、とうもろこし農場を経営するようになった現在36歳の男性なのである。
で、ある日とうもろこし畑で、突然レイは声を聞く。最初は意味がわからん、他の人には聞こえない。そのうちにナイター設備もばっちりの野球のダイヤモンド、それにレイ・リオッタ、いやシューレス・ジョー・ジャクソンの幻影までみてしまったものだから、なかなか物分りのよいワイフの許可を得てベースボールフィールドを作ってしまう(内野に芝もあるぞ)。が、誰も来ないで数ヶ月経つ。その間、農家なのに農薬散布や秋の収穫とかは描かれず、家の中はクリスマス、だが窓の外の雪が積もるグラウンドを寂しそうに見ているコスナ―であった。やっぱりフィールドを作ったせいで収穫量が減り、農場の経営も苦しいと現実的な話が出ていた折りも折り(農場を手放すように説得しているのはワイフの兄)、テレビでホワイトソックス中継(カールトン・フィスクが健在だった)がちらっと映った。春から夏の野球シーズンになったらしく(それにしてはとうもろこしがフィールドを作った当時と同じ草丈で、実が出来つつあるようだが)、シューレス・ジョーがあらわれた。お嬢ちゃんが知らせるところがじつにかわいい。シューレス・ジョーとベースボールでぎこちなく挨拶する感じのレイ、ボールパークの匂いや芝生の感触などについて話し、プレイできればお金など要らないとうっとりした顔のジョー、これって日本では職業野球(古いか)と呼ばれたので意外と忘れられることだが、選手も心から楽しんでプレイしている証拠で、おまけにファンの願望、涙が出るほど感動してしまった。
ところで、シューレス・ジョーは左打者なのにレイ・リオッタは右打者だと当時話題になっていた(アカデミー賞授賞式でもビリー・クリスタルにネタにされていたっけ)。ジョーの未亡人は鏡にうつせば右でしょと気にしなかったようだが・・・。それと気になるのは、彼の頃はナイター設備はなかったはず、と思っていたら、やはりそういう会話があり、「今ではリグレーフィールドにもあるよ」とコスナ―(確かに最後にナイター設備が出来たところだが、彼の前ではコミスキーパークと言ってほしいっ)。で、また来てもいいか、もちろん、仲間の8人が喜ぶ、ブラックソックス事件で永久追放されたチームメイト達のことである。そして、ジョーの言うセリフは、「IS THIS HEAVEN?」これは、98年のマグワイア&ソーサのホームラン争い、くま先輩がロジャー・マリスの記録を破るゲームで、セントルイスのブッシュスタジアムのファンが掲げていた言葉、う〜ん、そうだったのかといまさらわかったのであった(すみませ〜ん)。
で、ジョー達に家族も紹介し、8人の練習を見ていたコスナー、次は「彼の苦悩を癒せ」という声がする。さて、「THIS IS CNN」でおなじみ、渋い声のジェームズ・アール・ジョーンズの登場である。彼は60年代に活躍したが、なぜか筆を折った作家で、彼とはこのテレンス・マンではないかと思わせる出来事が起き、彼に会いにボストンに行くコスナ―であった(ここでも、しっかりしたワイフのシーンあり)。ようやく探し当てたが、取りつくしまもない態度のジョーンズ氏、それをしつこく説得し、フェンウェイパークのレッドソックス対A'sを見に行こうと誘う。(撮影は88年なので、これはその年の東と西地区の優勝チームどうしの対戦である。当時、レッドソックスにはロジャー・クレメンス、ウエイド・ボッグスなどの将来の殿堂入り選手が、A'sにはラルーサ監督に殿堂入りのTHE ECK先輩、カンセコ、くま先輩が活躍中なので、大いに期待したのに誰も映らないのは残念・・・)とにかく、「エベッツフィールドで野球をしたい夢を絶たれた」とも言っていないなどといい、全然わかっていないと思ったジョーンズ氏は、じつは声も聞こえ、バックスクリーンの映像も見ていたと判明、いそいそとふたりでミネソタ州チザムへ、1922年に1ゲームだけ後半に守備で出場、とうとう打席に立つことがなかった「ムーンライト」グラハム選手を探しに行くのであった。
グラハム選手は結局、選手として成功せず、故郷へ帰り、医学博士号を取得、医院を開業して地元の名士として生涯を終えたことを調べ出す。レイはグラハム医師の霊と遭遇し、誘ってみるが、彼も夢がかなうならばメジャーリーグの打席に立ちたいとは言うが、ここが居場所だと断わられた。しかし帰りに若い野球選手のヒッチハイカーを拾う。それが若き日のグラハム君であった。
 最初のシューレス・ジョー登場時点では、このフィールドの使用資格はメジャーリーグの永久追放者限定で、ヨーロッパ神話に登場する亡き英雄が集うバルハラ神殿、ギリシア神話のオリンポス山のアメリカベースボール版か?と思ったが、この1ゲームだけの出場者グラハム君を連れて帰ると、ジョーが他の選手たちを連れてきていた。「来たい奴はいっぱいいるが、嫌われ者のタイ・カッブだけは断わった」と明るく笑うジョー、ホワイトソックスのユニフォームを着ているが、どう見てもべーブ・ルースそっくり投手もいる。ベースボールが好きでプレイしたいならば人(霊)を選ばないようだった。そうなのだろうか・・・?と思ったところ、ジェームズ・アール・ジョーンズの古き良き時代のアメリカ、長い年月変わらないのはベースボールだけ、というスピーチが。彼はジョーに誘われ、子供のようにジョー達の帰って行くとうもろこし畑の向こうへ去って行った。そして最後に登場したのがマイナーリーガー時代のレイの父であった。父と子、兄弟は裏庭でのキャッチボールで絆を深めるのが定番である。わだかまりを残したまま死別したレイと若き日の父とのキャッチボールがクライマックスなのであった。最後に、光の帯のように観客の車列がみえる、彼らもやってくるのであった(このシーンをF&FWEEKENDのJulietとMikeが感動シーンだと話していたっけ)。
2004年の現在、その後も続々とベースボール好きの物故者がアイオワのとうもろこし畑のグラウンドへ直行しているのではないかと思うと楽しい。ジョー・ディマジオ、テッド・ウィリアムズ、それに若くして亡くなった人達も・・・。放送席にも、ハリー・キャリーにジャック・バック、解説者伊東一雄氏も巻き舌で生き生きと!解説されていると想像するだけでわくわくするではないか・・・。

 ※昨年だったか、89年に永久追放された大選手ピート・ローズの復権について、ジョージF・ウィルがコメントしていた。ローズが殿堂入りを望んでいるならば賭博をしていたことを認め、それを防止するプログラムに関わるなどの社会奉仕をするべき、そして、殿堂入りの際は、ブロンズ像の履歴にはっきりと賭博の前歴について明記するべきだと。なぜならば、ベースボールというゲームが、八百長、まやかしという疑いを持たれればおしまいだから、と断言していたのである。なるほど、日本では事勿れ主義でなあなあでやってしまうが、ファウルとフェア、アウトとセーフをはっきりしないとゲームは成立しないのだ、厳格な姿勢を持たないとファンの支持を失ってしまうのは間違いない。シューレス・ジョー、ブラックソックス事件で永久追放を受けた8人のホワイトソックスの選手達には気の毒だが、けじめがあってこそのプレイボールなのである・・・。


61*
2001

ビリー・クリスタル製作、監督、ニューヨーク・ヤンキースの有名なMM砲、ミッキー・マントルとロジャー・マリスの1961年のシーズン最多ホームラン記録更新競争を描いたHBOのTVムービー。61の*は、参考記録の印だそう。
ビリー・クリスタルはニューヨーク出身で50〜60年代のヤンキースについて「大リーグ、もうひとつのアメリカ史」などに登場して思い出を語り、今でもヤンキース(メッツも)のゲーム中継で始球式をしたり、観客として、また実況席のゲストとして登場するのが珍しくない筋金入りの野球通なので、メジャーリーグファンの期待を裏切らない必見の作品になっている(キッパリ)。
最初は1998年、セントルイス・カーディナルスのマーク・マグワイアのシーズン最多ホームラン記録更新のシーンから始まる。ロジャー・マリスの未亡人と子供たちはセントルイスに招待されたのだが、あいにく急に不整脈で倒れたマリス夫人は病院のベッドからのテレビ観戦になった。そしてマグワイアの打球が最短距離でレフトのフェンスを超えて整備用具置き場に入った瞬間に、61年のマントルとマリスの物語にタイムスリップする。
その年はエクスパンションで8ゲーム増えた最初のシーズンで、開幕前から前年度のアメリカンリーグMVPのロジャー・マリスと大スターのミッキー・マントルの、どちらが記録を更新するかが注目の的だったこと。シーズン当初スランプだったマリスは、打順を変えてマントルの前の3番に定着後、ホームランを量産し始めたこと。また、ミッキー・マントルは新人の頃、外野フライの守備でジョー・ディマジオに遠慮して外野の給水装置に足を取られて転倒後、ずっとひざの故障を抱えていたことは有名だが、ディマジオに良い感情を持っていなかったこと。ご乱行のマントルをマリスが同僚選手のボブと住むアパートに同居させたので品行方正になりシーズンが好調だったこと、口下手なマリスに対する新聞記者の誤解を招く記事とコミッショナーのべーブ・ルースびいき、おまけにマントル人気でファンにも敵役のようにされていく孤独なマリス(ヤンキースタジアムでまでブーイングすることはないだろうに・・・)、守備も抜群にうまかったマリス、そしてお互いを認め合っているマントルとマリスの友情など、当時を知らなければわからない興味深いエピソードが次々と登場する。名将として知られるラルフ・ホーク監督が随所に良いアドバイスをし、オーナーや記者に対応するところもなかなかであった。もちろん、腰に腫瘍が出来て入院しホームラン争いからはリタイアしたマントルが、病床のテレビでマリスの61号ホームランを嬉しそうに見守るところは、ふたりの仲についてはまったく知らなかっただけに、仲の良いライバルはマグワイアとソーサだけじゃないのかと、かなり感動したのであった(ビリー・クリスタルもこのことを伝えたかったのだと思う)。
私はテレビ観戦とは言うものの、98年のシーズンは開幕からよく知っているが、マグワイアがホームランを量産するに従って、ロジャー・マリスについてもメディアで取り上げられるようになった。5月頃だったか、ロジャー・マリスJr.が「FOX SPORTS ON SUNDAY」でちょっと複雑な表情でインタビューにこたえていたのを覚えている。また、故伊東一雄氏の解説で、当時はマントルの方が人気があり、マリスのホームランがヒットの延長のようなライナー性で豪快なものではなかったせいか、ファンの気持ちをつかめなかったことまで教えてもらったので、当時を知らない私のようなファンでさえ、マリスはひとりでプレッシャーに耐えて記録を更新したのにべーブ・ルースとのゲーム数の違いを問題にされてMLB機構から正式記録とは認められず、殿堂入りも果たせずに早世したことを聞くと気の毒でたまらなく思えたほど、マリス情報もクローズアップされたのであった。
もちろん、マリスにもっとも関心を寄せていたのはマグワイア本人であった。殿堂入りしていないなんて信じられない、彼の受けたプレッシャーはよく理解できると事あるごとにマリスに言及したせいか、記録更新でマリスが消えるのではなくごく自然に彼の復権に貢献したのだった。マグワイアは故障もなく、チームメイトにも首脳陣にもライバルのソーサにも恵まれて、セントルイスだけでなくアウエイの球場でもすべての野球ファンから盛大に応援されていたので、マリスを気遣う余裕があったし、第一心にもないことを言う人ではないので(くまだから)、マリス一家にもマグワイアの気持ちが伝わって、ブッシュスタジアムでの記録更新に立ち会ったのだと思う。マリスは引退前の3年ほどカーディナルスに在籍して良い思い出があると息子さんのひとりが語っていたとおり、一家は部外者ではなくカーディナルスファミリーの一員としてそこにいたのであった。(関係ないけど、マリスも陰のあるハンサムな方だが、4人の息子さんたちもすごいハンサム揃い、お嬢さんも美人だった・・)
さて、マグワイアのホームランは、打った瞬間入ったとわかる特大のものばかりで、ライナー性のぎりぎりに入る当たりはあの1本だけだったのではないだろうか。故伊東一雄氏が解説で語っていたところによると、彼はその場でご覧になった瞬間、背筋がぞっとしたという。「あれはロジャー・マリスのホームラン」だというのは、実際にマリスを知っているファンに共通の想いなのであろう。あのシーズンを通して、特にあのゲームは、ほんとうに素晴らしい雰囲気だったので(Baseball Heavenと掲げたファンがいたもの)、マリス、マントルのスピリットもその場にいたはず、思わず自分の存在を示したと想像すると楽しくなってくるではないか。
ということで、ビリー・クリスタルもその瞬間から61年のドラマを始め、マリスの記録更新の後は再びマグワイアに戻り、デイブ・マッケイコーチに一塁ベースを踏むように注意され、息子のマシュー君、チーム全員、それにサミー・ソーサが祝福するシーン、マリス一家と抱き合う様子、記者会見でマリスのバットに触れ、彼を身近に感じると述べるニュース映像(ラルーサ監督も映してよね←失礼)を見守るマリス夫人、そして91年に*がはずされて、正式に記録として認められる6年前にマリスが亡くなった話で締めていた。
尚、ここで登場するヤンキースタジアムは、じつはタイガースタジアム。また、ナックルボーラーで鳴らした「キャンディーマン」ことトム・キャンディオッティー(顎のない男)が、当時のナックルボーラー、ホイト・ウィルヘルム投手役で出演しているが、放送の翌日に元チームメイトのベン・グリーブら数人から「出てたね」とスター扱いの電話をもらって嬉しかったという記事を読んだことがある。
それにコンサルタントにはマリス、マントル両家の人々、ヨギ・ベラはじめ当時のヤンキースの選手お歴々の名前が連なっているので、エピソードの数々は信用できるはずである。ただ、放送当時の記事によれば、60年代のスポーツ記者が「オスカー・メディスン(「おかしな2人」の主人公のひとり)みたいに描かれているのは間違いだ」と、スポーツ記者のコメントがあったのはたまにきずだが・・・。
ラストクレジットの後、5歳くらいの小さな息子を連れた男性が「ほら、ミッキー・マントルだよ」と坊やに教え、彼がホームランを打つと坊やが嬉しそうに微笑み、「1956年5月30日に初めてヤンキースタジアムに連れて行ってくれた父に捧ぐ」というビリー・クリスタルの銘文が出たのだが、演じたのはミッキー・マントルの息子さんとお孫さんのようだった。最後の最後までじつに心憎い演出である。この作品、エミー賞をはじめ色々な賞にノミネートされたが、エミー賞のキャスティングと音響効果しか受賞していないのは残念。IMDbの視聴者コメントには、A Hall of Fame effortと言う感想があった。

Cooperstown
1993

アラン・アーキン主演、メジャーリーグで活躍しながらも殿堂入り出来なかった元投手が、殿堂入りを果たす直前に亡くなった親友のスピリットと共に新人以来の思い出の地を巡り、野球殿堂のあるクーパーズタウンにたどりつくというPBS製作のTVムービー。
フロリダでバロンズのスカウトをしているハリー・”ウィング”・ウィレットが、一年でいちばん機嫌の悪い日が、殿堂入り選手発表の日である。糟糠の妻である夫人はそっとしておこうとするが、その年は彼の親友だった捕手が選ばれたので尚機嫌が悪かった。1961年の彼の唯一のワールドシリーズ出場のチャンスだった最終ゲームの9回裏にさよなら逆転ホームランを打たれたのが殿堂入り出来ない理由で、そのとき相手チーム(ニューヨーク)にいた親友の捕手(レイモンド・マラクル)がバッターのエディー・マクビーに投球の癖を教えたと30年来思い込み、絶交していたからであった。が、夫人がお祝いの電話をしたところ、マラクルは昨晩心臓発作で亡くなったと聞き愕然とする。ハリーは殿堂入り記念式典にバロンズの代表としてクーパーズタウンへ招待されるが、行きたくない、が、その晩なんとネイティブ・アメリカンであるレイモンドのスピリットが訪ねて来て、頼む。翌朝、彼は自分も殿堂入りすると、レイモンドと共に車で野球のキャリアと友情をたどる旅に出るのであった。もちろん、真っ先にレイモンドのスピリットには投球の癖の話を聞いたが、教えていないと言う。ちょうど来ていた夫人の姪の息子(ジョシュ)がハリーを連れ戻そうと追い付くが、脚を悪くして寝たきりのエディーを訪ねるとレイモンドの言うとおり、教えるまでもなくすっかり癖が読まれていたことが判明、荒れ狂うエディーに嫌気がさした彼の孫娘(かなりの野球通)も一行に加わり、それほど野球に詳しくないジョシュに、ハリーが殿堂入りしてもおかしくないキャリアだが朝鮮戦争で最盛期を失っただの、スポーツ記者とけんかばかりしていたのが殿堂入りの障害になっている(スポーツ記者が投票権を持っている)と色々解説してくれたのであった。で、一行はオーナーの会社に行ってMVPトロフィーを強奪したり、マイナーのルーキーオブザイヤートロフィーを返してもらおうと訪ねた思い出の女性はチーム全員とねんごろで、ハリーよりもレイモンドがもてていたことがわかったり、合間にモノクロ映像でマイナーリーグの入団テストを受けに行く途中、ヒッチハイクで乗せてもらったネイティブ・アメリカン一行の車でレイモンドと知り合ったこと、マイナーリーグ時代に人種差別でホテル宿泊を断わられたレイモンドに付き合ってバスで寝たことなど、無愛想で頑固な昔人間のハリーは意外に骨のある正義漢だったのだ。そして、ニューヨークのスポーツバーへノーヒットノーランの記念ボールを返してもらおうと立ち寄ったところ、宿敵のスポーツライターと鉢合わせ、レイモンドが成績ではなく人種で選ばれたと平気で言う偏見の持ち主のライターに、目の前で散々親友をばかにされたハリーは、レイモンドのスピリットの号令で殴りかかる(スポーツバーの店主にすっとしたと言われ、その場の全員から拍手されて出て行くところが感動的だ)。最後はレイモンドが自分の墓にハリーを連れて行き、昔のように彼の投球を受けるとスピリットは満足したらしく消えていった。クーパーズタウンでは殿堂入り式典に出席するのではなく、エディーの展示物の前に自分のトロフィーなどを飾り、「本人により殿堂入り」という張り紙をするので、やめさせようとするジョシュらともめていると(私だってやめさせるぞ)、式典の会場のドアが開いてレイモンドの娘さんの呼びかけと満場の拍手で迎えられ、短いがレイモンドのために感動的なスピーチをするところでしめていた。
が、このTVM、実在のメジャーリーグチームの名前が使われていない。シーズンMVP受賞投手は当然、最優秀投手賞であるサイヤング賞とダブル受賞しているはずなのに、MVPだけというのも変、殿堂入りは生涯成績で判断されるので、エディー・マクビーがいくら優勝のかかった逆転さよならホームランを打ったからといって、それが唯一のホームランという選手が殿堂入りするものではないし、それに式典は毎年真夏に行われるうえに、殿堂入り選手はブロンズ像になって納められるのは誰でも知っているのに、実在しない選手の写真とトロフィーが展示されているガラス箱なんていかにも嘘っぽいのであった。脚本などが気に入らず、MLB機構から許可されなかったのだろうか。
ということで、人を殴って問題を起こしたという若いジョシュが禅で自分をコントロールできた、野球なんて誰でも出来るじゃないかと言ったとき、むっとしたハリーの「野球は禅だ、忍耐と技術と戦術を究極まで試されるが、運が勝機を左右する」と言うセリフは本当に奥深いし、レイモンドのスピリットとの友情復活も心暖まるものであったが、殿堂入り出来なくても名選手たちの思い出話が出来るだけでも幸せなんじゃないかと、使用許可されなかったであろうハリーと同時代に活躍した本物の殿堂入りの伝説の名選手たちを思い浮かべたのであった。
結局、冒頭のゲーム実況を担当したデトロイト・タイガースのアナウンサーとして有名なアーニー・ハーウェルだけが、本物の殿堂入りアナウンサーということになるのか・・・。
尚、監督は「ヒルストリートブルース」のアンドリュー・レンコ巡査でお馴染みだったチャールズ・ハイド、エディー・マクビー役で出演もし、クーパーズタウンでサインを求める女性は彼の娘さんだそうだ。それに主人公のマイナーリーグ時代の監督役で、「ヒルストリート」同窓生のヘンリー・ゴールドブルーム警部補ことジョー・スパノが出演していたのだった(関係ないけど)。

Cobb
1994

1960年、死の直前のタイ・カッブにご指名を受け、彼の自伝を書くことになったスポーツライターの目から見た歴史に残る名選手の晩年の真実を描いた映画。最初に出るBased on the True Storyが後で考えるとじつに生々しい。タイ・カッブは20世紀初めに大リーグで活躍した大選手で、見世物のようだった野球をアグレッシブなものに変え、数々の大記録を打ち立てた近代野球の始祖だが、おそろしく乱暴な逸話でも知られている。いちばん有名なのは、ひどい野次をとばしたという観客をスタンドまで行って殴り倒した話だろう。その観客は片腕がなくもう片方の手の一部も失っていたのだが、「よせ、その人は両手がないんだぞ」と言われても「うるさい、両脚がなくても構うもんか」と殴り続けたという、一度聞けば忘れられない逸話の持ち主なのだ。
この映画ではこの逸話が嘘ではないどころか、気に入らないとピストルを撃ちまくる、70歳過ぎていよいよ手が付けられないカッブに翻弄されながら、ご本人の希望で偉大な野球選手とだけ書く表の自叙伝と、内緒で真実のメモのふたつを書くライター氏だったが、その裏自叙伝がメインになっていた。
さて、選手時代のゲームの回想シーンで、単に「相手方の投手」という役名で登場したのが、誰あろうロジャー・クレメンスだった。オールドタイマーのユニフォームが良く似合い、カッブに負けずに悪態をつき、ビーンボールを投げる現役最高峰のクレメンス投手は演技とは思えないほど自然だったが、彼本来のピッチングフォームではなく当時の投手のフォームで投げていたせいか、いつもの速球に勢いがなくカッブに2塁打を打たれたうえ3盗後、ホームスチールまでやられてしまい、とうとう乱闘になったのだった(おいおい)。
現在も、野球の才能がなければ、という選手、元選手がときどき騒動を起こすが、カッブに較べればチンピラ同然、こちらの方でも最初の殿堂入り間違いなしとみるべきなのだろうか。それにしても人種差別的偏見を隠そうともせず、家庭内暴力に八百長疑惑(コミッショナーが追及を差し止めたらしい)、殺人まで犯していた(もみ消されたとか)なんて、殿堂入り選手達のパーティーから締め出され、家族にも縁を切られて当然、株でもうけて大金持ちというのもなんだか虚しい、まるで絵に描いたお伽話の教訓のようであった。もうひとつの有名な話、彼が18歳でメジャーリーガーになる直前、父親が浮気を疑って家の窓から侵入しようとしたところを強盗と間違えた母親に撃ち殺されたという話は、ここではじつは母ではなく浮気相手が犯人だったが、カッブはそのことを知っていながら母親に有利な証言をし、母親は無罪になったということになっていた。
ところで、日本ではタイ・カップ(P)といわれ題名もそうなっていたが、発音を聞いているとカッブ(B)なのである。いったいどこでどう間違ったのだろう・・?
尚、カッブ役のトミー・リー・ジョーンズは、「The Fugitive」でアカデミー助演男優賞を受賞し、授賞式で挨拶したとき、開口一番に「I am not realy bald」と言ったのだが、実はこの映画の撮影中だったため、頭のてっぺんを剃っていたのだった(気にしていたのね)。

MR.BASEBALL
1992

トム・セレック主演、1989年、阪神タイガースに所属しそこそこ活躍したが、シーズン後半に自らの三振に腹を立ててバットを投げたとき小指を骨折して治療の為アメリカに帰国、翌年はデトロイト・タイガースに入り、人が変わったように特大ホームランを打ちまくってメジャーリーグ久々のシーズン51本記録を作り、一躍大スターになったセシル・フィルダー選手にヒントを得て、ロバート・ホワイティング著のアメリカ人選手から見た日本プロ野球を忠実に映像で表現したコメディー映画。
主役のジャック・エリオットは、自己チューで私生活も乱れ、若い選手のスパイクに火をつけるいたずらして喜ぶべーブ・ルース型のニューヨーク・ヤンキースの主砲で、年齢的にも峠をすっかり超えてしまった感がある。ある日、とてつもない当たりをかっ飛ばす新人選手(その頃の大型新人、シカゴ・ホワイトソックスのフランク・トーマス)にぎょっとしていたら、監督室に呼ばれてトレードを申し渡された。「カナダでもクリーブランドでもないのか?」というセリフは、インディアンスの低迷を思い出させるが、行き先は、中日ドラゴンズ(噛みタバコ(チュータバコ)をやりながら言われてはたまらない)。
メジャーリーガーが日本でプレイできるかと、渋々やって来たジャックの日米文化摩擦体験の始まりである。
挨拶の仕方からマンションの狭さ(注、トム・セレックは約198cm)、テレビをみれば吹き替え版「ナイトライダー」(ここで「私立探偵マグナム」を出すと受けるのに〜)、CNNではヤンキースの新人選手の活躍を報じていたので慌てて消してしまった(CNNインターナショナルのスポーツアンカーの声ではなかったが)。クラブハウスはとっても狭くて靴を脱ぐ、スリッパは小さい、お風呂は体を洗ってから入る、日本式の厠、それにチーム全員揃っての柔軟体操やランニングばかりの練習、日本の決め球シュート、引き分け終了、電車通勤など、体験したものでないとわからないことがこれでもかと登場する。同僚のマックス(デニス・へイスバート)は、「こっちではガイジン、アメリカでの黒人マイノリティーみたいなものさ」と意味ありげに笑うセリフまであるのだ。それに通訳、記者会見からずっと、ものすごい意訳をしてジャックにも日本側にも気を使っているところは、笑いを通り越して哀愁さえ漂っていたのだった。ちなみにミスター・ベースボールとは、期待いっぱいで付けられた彼の仇名である。
さて、いよいよ内山監督(高倉健)の登場、相手の感情にお構いなく自分の都合を押し付ける典型的な古いタイプの日本男性で、すぐ怒鳴る。ジャックにも「ヒゲをそれ」とか、実力を見て何番を打つか決めるなど、相手をもっと尊重しないと気持ちよく働いてくれないよ、と日本人としても頭を抱える態度だが、彼がものすごい大選手で尊敬されていると通訳が説明するところも細かいし、マックスに連れて行かれた外国人選手の溜まり場(マーティー・キーナート氏が出ないのは不思議だ)で、実際に日本で活躍した選手たちが登場して自らの言葉で本音を言っているシーンなんて、まるでドキュメンタリーのようであった。
ということで見ている側も充分イライラしてきた頃、ジャックさんはエージェントに電話して帰りたいと言うが成績もよくないのにとあっさり断わられ、キレはじめた。一発打てば逆転の場面でバントを命じられてむっとして大ファールを打つが結局三振に倒れ、クラブハウス(ロッカーやね)で荒れると監督に怒鳴られ罰金、ついには審判とももめて乱闘になり、もはやマックスもお手上げの状態になるのだった(誤って殴られる通訳がかわいそう)。で、彼をCMに起用した広告会社の女性(たぶん)ヒロ子と親しくデートなんかして、彼女に色々と日本文化を教わっていたが、なぜか田舎の実家に連れて行かれると、なんと内山監督が出てくるではないか(急に監督の娘だと言われてもこっちも困る)。内山家でおそうめんをご馳走になるが、監督のご両親、彼女の祖父母がにこりともせず、みんなでだまってずるずるとおそうめんをすするシーン(ジャックはおだしも使わないのに誰も教えないし)は、日本人から見ても不気味このうえないものであった(もうちょっとご馳走してあげればいいのに)。
ここから突然監督は流暢な英語をしゃべり始め、ジャックも(私も)ずるいと言いつつ、やっと両者の意思疎通ができるようになったが、じつは球団がボストンの選手(ジャックのライバルらしい)を推したのに反対してまで、ジャックの打撃が日本で通用すると雇ったのは自分だと打ち明けられ、ジャックはがらっと変身する(最初から言ってやれよ)。で、なぜか「カラテキッド」そこのけのマンツーマンの特訓が始まり、ジャックはあれほどばかにしていた柔軟体操からランニングを早朝から嬉々としてこなし、千本ノックまでやってみせ、他の選手にも今までの無礼を日本語で謝罪するのだった(彼の変化のせいか、通訳も自己主張しお口ごたえするのだ)。そして日本の生活にだいぶ慣れてきた様子で、自分で車を運転して監督の家に行き、「日本では酔っ払って上司の悪口言ってもいいんだろ」と、今度はジャックの番、お酒を飲みながらリーダーシップについて言いたいことを言うのであった。要するに野球が仕事だという日本人とゲームだから楽しまなくちゃというアメリカ人の根本的な考えの違いが言いたかったのである(ファンだって楽しそうにすごいプレイをするのをみるのが好きなんだぞ)。
しかし日本に5年もいるマックスまで、監督が英語をしゃべれるのを知らなかったのはいただけない。
さて、ミヤギさん、いや内山監督の特訓の成果でジャックの調子も上がり、チームは勝ち出した。ジャックはテレビのスポーツニュースのインタビューでも、「自分の成績よりもジャイアンツに勝つ方が大事」なんてすっかり優等生になり、内山監督の持つ7ゲーム連続ホームランの記録更新もかかった大事なゲームは、やっぱりよみうりジャイアンツ戦。彼の活躍の噂を聞いてLAドジャースが関心を示したと、エージェントがドジャースのスカウトを連れて観戦に来るなか、名古屋市民のみなさんのご協力のもと、満員のナゴヤ球場は盛り上がり、ドラゴンズ対ジャイアンツの決戦が行なわれた。焼き鳥なんか食べながら見守るドジャースのスカウトが笑える。
しかしランディー・バース、いやジャックさんは案の定日本名物の敬遠攻めに合い、代わりにマックスが大活躍していた(ここをもっと盛り上げないと、説明不足よ)。ジャックが日本方式を受け入れて打撃快調になれば、ベンチもアメリカ式に盛りあがり、監督もテレながらメガホンを叩くまでになるところはなかなかよい。さて、逆転がかかったジャックの9回裏の打席、なんと自分から監督に「バントか?」というが、監督は「思い切って振っていけ」だが、気をきかせたのか意表をついたのか、バントが相手のエラーを誘い、ドラゴンズの逆転勝利になった。ドジャースが契約したのはマックスの方だったが(彼は「メジャーリーグ」のセラノなので、インディアンスのほうが受けるのに〜)、ジャックもデトロイト・タイガースのコーチになったというハッピーエンドであった。
 が、この映画の難点は、春のキャンプは2月から、シーズンは4月〜10月という季節が不明ということである。また、最後の決戦に勝ったとはいえ監督の胴上げがなかったところをみると優勝ではなかったようだし、ドジャースが優勝のかかった後半戦のためにマックスをスカウトしたのならば、いくらおそくても7月末、また、ジャックがせっかく日本野球に馴染んだのならドラゴンズが日本シリーズ優勝した後も3年ほど活躍しないとね。元選手の体験を盛り込んだのはいいが、他のチームメイトがほとんど出て来ないうえにシーズンの結果がはっきり出ていないのは中途半端だと思う。
この映画、アメリカでの興行成績はStrike Outだったが、日本の野球を知っているアメリカ人は楽しめたらしく、IMDbの感想のところにGrandslamと書いた方があった。プロ野球のチームに入るアメリカ人選手必見になっているそうだが、教科書としては最高の出来だと思う。

尚、トム・セレックは熱烈なデトロイト・タイガースファン、「私立探偵マグナム」でもタイガースの帽子がトレードマークだったくらいで、兄弟にドジャースの元マイナー選手がいるそうだ。ということで、この映画の役作りで(役得だ)、90年春のデトロイト・タイガースのキャンプに参加し、オープン戦で打席に立たせてもらって話題になったというより批判された(三振だった)。また、彼が守備練習でトンネルし頭を抱えながら走ってボールを追うシーンが、なぜかNHK−BSのMLB中継の珍プレー集で数年間頻繁に流れていたが、デトロイト・タイガースの永久欠番である背番号14の大柄な選手をNHKが俳優だとわかっていたかどうかはいまだに謎である。
日本のメジャーリーグファンの願望としてはぜひ続編をお願いしたい。アメリカ人監督が日本の低迷チームにやる気を起こさせ、観客動員も大幅に増やして優勝にあと一歩までいったのに、管理主義のGMに嫌われてクビになるという2(ドキュメンタリータッチで)、この監督がメジャーリーグ監督に復帰後、彼を慕ってアメリカに渡った日本人選手が活躍してワールドチャンピオンになる3(願望入ってます)など、どんどんシリーズ化も出来るのに・・・。


THE NATURAL

1984

ロバート・レッドフォード主演、1930年代のスポーツファンタジー。アメリカ中西部らしき農家の庭先で父子のキャッチボール風景から始まり、息子が10代半ばになると豪速球を投げるようになった。が、庭の大木の根元で父親が突然倒れ亡くなり、その大木も落雷で真っ二つに折れた。少年はその木でバットを作り「Wonderboyと雷のマーク」銘を入れたのだった。
 そして高校卒業後か、レッドフォード少年いやロイ・ホッブスはカブスの入団テストを受けにシカゴへ行くとガールフレンドのアイリスに報告(ついでにプロポーズもしていた)。老スカウトと共にシカゴへ向かう車中で、大砲(どうみてもべーブ・ルース)とマックスというスポーツ記者(ロバート・デュバル)に会うが、給水のために停車した駅の近くの移動遊園地のようなところで、ちょっとしたきっかけから老スカウトが記者に「大砲を三球三振に取れば$10」と賭けを持ちかけるが、見事に大砲を三振に取ったところを謎の美女が見ていた。じつは記者が新聞をみながら、最近オリンピック選手などが銀の弾丸で射殺される事件が相次いでいると言っていたが、急にロイ少年に接近してきた謎の美女はシカゴのホテルの部屋に呼び出し、なぜか彼を銃で撃ったのであった。
 それから16年後、ニューヨークのナイツフィールドの(エヴェッツフィールドじゃないのか?)ナイツという最下位チーム(ジャイアンツじゃないのか?)でふがいない選手たちにぶつぶつ言う老監督の前に、新人選手だと言って姿をあらわしたのはレッドフォードいやロイ・ホッブス、ルーキーどころか引退する歳だろ、と取り合わないが、なんとかチーム入りを認められると、片腕と言う感じのレッドコーチがロイを食事に誘い、色々聞くが経歴は言わないので深くは追求せず、監督を優勝させてやりたいのでチームのためにがんばってほしいと話すのだった。
しかし、連敗に次ぐ連敗のナイツ、のどから手が出るほど新戦力がほしいはずなのに、スカウトが絶賛すると言うロイの出番どころか打撃練習で実力を見ることもせず、ずっとベンチに置きっぱなしというのも解せない。
やっと打撃練習させてもらったが、どでかい当たりを連発、エラーしたチーム唯一のスター選手バンプの代打でメジャーリーグ初打席の2球目を外野にロングヒット、それがボールが壊れるようなすさまじい当たりで3塁打になった。このニュースをシカゴの喫茶店で聞いたのが、昔のガールフレンドのアイリス(グレン・クロース)だったが、バンプはがんばらないとロイと替えると監督にいわれ、張り切りすぎて外野の壁に激突死してしまったのだった。
 以後、ロイがレギュラーになり大活躍するが、その昔大砲と対決した目撃者のマックスという記者が、どこかで見たようだが思い出せないという感じでつきまとっていた。ある日、彼が観客席からナイツの練習を見ていると、マウンド付近にいたロイにチームメイトがボールを投げろというので、豪速球を投げたところで、やっと思い出したらしかった。(低迷しているなら投手不足だろうに、彼を投手として使わないのは?)
この頃、監督の姪(キム・ベイシンガー)がロイに近付くが彼女は賭け屋と関係があるらしく、叔父である監督自らが「不幸をもたらす女だから付き合うな」というほどなので、ロイは大スランプに陥った。シカゴ遠征でも三振を連発するが、思わず立ち上がったアイリスを見て大ホームランをかっとばす。彼女の伝言を受け取り旧交を暖めるが、あの事件後2、3年入院し放浪生活をしたと言葉少なに打ち明けていた。また、その後彼女のアパートへ行くと息子がいることがわかったが(誰だって彼の息子だろうとピンと来るのだが・・?)、そのままボストン遠征に行くロイだった。チームは連勝を続け、あと1勝というとき、優勝できなければ監督はクビ、チームは自分のものになるというオーナーの判事に八百長を持ちかけられたうえ、記者マックスの調べでわかった例の事件をスキャンダルにすると脅されても、ロイは断わるのだった。まったく1930年代のメジャーリーグはそれほどまでに賭けや八百長がはびこっていたのだろうか? で、前祝いのパーティーで急に倒れ、いちばん近いからと運び込まれた産婦人科で気が付くと、胃から昔の銀の弾丸が摘出され、もう野球は出来ないと医師に言い渡される。見舞いに駆け付けたアイリスに、大選手になって、あれがロイ・ホッブスだと言われるようになりたいというが、学ぶ人生とそのあとの人生、人生は2度ある、もう充分活躍したのではと諭されたのだった。しかし彼の不在中3連敗の後、優勝をかけたパイレーツとのワンデイプレイオフにどうしても出たいというロイは無理を押して出場、だがまったく打てない(開腹手術後数日でそんなことが出来るのだろうか?)、アイリスは息子が見に来ていると伝言を渡すが、かえってびっくりしたのではないかと思う。しかしさすがに最後の打席でユニフォームにわき腹からの血を滲ませながら、照明灯に激突する大ホームランでさよなら勝ち、ライトが次々と壊れて花火のようなすさまじいフィナーレだったが、またもやワールドシリーズはどうなったかはわからないままであった(一応、ワールドシリーズよりも同じリーグどうしのプレイオフのほうが見ごたえがあると言われているし、私もそれは同感なのではあるが・・)。
 最後はロイは父親としたのと同じように、じつに清々しい顔で息子と故郷の農家の庭先、広々としたとうもろこしか小麦畑の側でキャッチボールするのをアイリスが眺めているシーンで締めていた。
残念ながら、メジャーリーガーの出演はなかった(と思う)。
☆メジャーリーグでのルーキーはやはり24,5歳くらいまで、野茂、イチローなども、日本でのプロ経験もあり27歳でルーキーオブザイヤーはないだろと言われたものだったが、98年、ニューヨーク・ヤンキースにシーズン後半ぎりぎりに昇格、初打席が満塁ホームランという衝撃のデビューを飾り、その後も満塁ホームランを連発しチームの勝利に大貢献、プレイオフでもホームランと、一時はほとんどロイ・ホッブスのように打てば満塁ホームランという活躍をした26歳のショーン・スペンサー外野手は、「The Natural」と呼ばれたものだった。蛇足だがNaturalは生まれながらの天才という意味のせいか、レッドフォードは投手としても打者としても天才だったわけだろうか・・・。

FOR LOVE OF THE GAME
1999

ケヴィン・コスナ―主演。デトロイト・タイガース一筋、84年のワールドシリーズ優勝にも貢献したという40歳、殿堂入り確実といわれるベテラン投手が、肩も痛み、オーナーには球団売却によりトレードか引退を迫られ、恋人は今日イギリスへ去るという状況で、これに勝てば優勝というニューヨーク・ヤンキ―スとの対戦のシーズン最終ゲームに先発、輝かしいキャリアではなく恋人との想い出を回想しながら、たったひとりでパーフェクトゲームを達成する。
場所はヤンキ―スタジアムなので、有名な野次軍団「ブリーチャ―・クリーチャ―」の野次もすごいが、コスナ―、いやビリー・チャペル投手はマウンドに立つと「ノイズ消去」と唱え、集中すれば何も聞こえなくなるのであった。言うまでもなくコスナ―の一人舞台なのだが、ゲーム前のウォーミングアップ中に、監督から打撃不振のパーソナルキャッチャーを代えるといわれると断わり(グレッグ・マダックスのE・ペレス捕手の如く)、虫の好かない打者がプレートに近づきすぎるとビーンボールまがいのブラッシュバックを投げたり(ロジャー・クレメンス対マイク・ピアッツアの如く)、フリーエージェントでタイガースからヤンキ―スヘ移った親友に「金がすべてか〜」とつぶやいたり(ファンから見たチームへの忠実さの失われた全般的なFAのイメージ)→この親友がタイガース時代、頭に打球を当ててホームランにした想い出のシーン(レンジャース時代のホゼ・カンセコの如く)、親子2代の野球を愛するタイガースのオーナーが時代の流れで経営を諦め球団を売却(ドジャースのオマリー家の如く)、また、恋人と山小屋で休暇中に右手親指の付け根を切り選手生命が危うくなった(スノーモービルの事故で両足を骨折したカーニ―・ランスフォードの如く、余談だがマイク・マティニ―は映画の翌年に人差し指を・・)、昔の同僚選手の息子がヤンキ―ス側でデビュー(ジョージ・ブレットとハルの息子ブライアン・マクレ―の如く)ついにパーフェクトゲームを達成し、チームメイトにヴィクトリーライディングをしてもらう(ノーラン・ライアンの7度目のノーヒット・ノーランの如く)といった具合に、ゲームではタイガース側も監督と捕手、トレーナー程度しか描かれず、いくらパーフェクトゲームでもキャラクター不足で現実のノーヒットノーラン、パーフェクトゲーム(01年開幕2ゲーム目、ボストン・レッドソックスの野茂投手のゲームは記憶に新しい)のように、チームメイトが一丸となって投手を盛り立てる、息詰まる感動的なドラマが期待できない分、野球ファンなら誰でも知っているエピソードを彷彿とさせるシーンが盛り込まれていたのだった。
アメリカンリーグのゲームなのに、なぜかLA・ドジャース一筋のヴィン・スカリーアナ(なんと、56年のワールドシリーズでのパーフェクトゲーム達成のドン・ラーセン以来の実況だとか)と、出たがりのスティーブ・ライオンズ(実際の放送のときよりおとなしく、しゃべりもゆっくりで現実感がなかった)が、実況と解説を担当。ユニバーサル映画製作だが、中継はFOXになっていた。ヤンキ―スの選手のなかに、若手選手のリッキー・リディーなどがちらほら出演しているだけで有名どころの選手はひとりも出演せず、迫力のないことおびただしいヤンキ―ス(タイガースも)だったが、ドジャースのジム・コルボーン投手コーチ(オリックスの元コーチでもある)が3塁コーチに、またリック・リード、リッチ―・ガルシアといったベテランMLB審判が出演している。
最後は恋人ともハッピーエンド、めでたしめでたしなのだが、アメリカでの公開時、EW誌の映画評論家(女性)が「ゲームの間、女性のことばっかり考えてる投手なんて冗談じゃないわ」と、こき下ろしていたのだった(同感です)。それにしても、ヤンキ―スの優勝はどうなったんだろう・・・?
☆野球映画といえばコスナ―だが、92年だったか、90年の日米野球で初の負け越し後、雪辱に燃えて来日したメジャーリーグオールスターチームに混じって、ちょうど映画の宣伝で来日中のコスナーが東京ドームでの打撃練習に参加したことがあった。トム・ケリー監督はコスナ―に「トム・セレックよりもサマになってるぞ」と声を掛けたという・・・。

BULL DURHAM
1988

ケヴィン・コスナ―、ティム・ロビンス、スーザン・サランドンらの出演。コメディーに分類されるらしい。1999年に亡くなったマイナーリーグの有名なマスコット「CLOWN PRINCE OF BASEBALL」、Max Patkin氏も出演している。監督のRon Sheltonは、1967〜71年までボルチモア・オリオールズのマイナーの2塁手だったので、マイナーリーグの雰囲気が良く出ていて、ニューヨーク・メッツのケビン・エイピアーなど、メジャーリーガーにもファンが多いという。尚、このDurham Bullsというチームは実在する。
マイナーリーグのチーム、ブルズに、18四死球と18三振という新記録を打ち立てた、「100万ドルの腕と5セントの脳みそ」を持った豪速球投手が入団、彼をメジャーリーガーに育てる為にベテラン捕手のクラッシュ・デービスが雇われ、エピという名の逸材投手に投球術だけでなくインタビューの答え方も教えるのだが、二言目には「メジャーリーグでは〜」と言うクラッシュに、「アンタはメジャーの経験あんのか?」、「ある」。9月のONE CUP OF COFFEE、つまりメジャーリーグの選手枠が25人から40人に増え、来シーズン期待の若手、またはマイナーどまりの選手に一時的に雰囲気を味合わせる時期での、ほんの一瞬の経験にもかかわらず、移動中のバスの中の選手たちの目が一斉に輝くシーンは、パンチョ伊東氏によると、じつにリアルだという。また、タイムをとってマウンドで選手が集まり、作戦会議かと思いきや、グルーピーと結婚するチームメイトのお祝いを何にするか相談しているシーンは有名で、ニューヨーク・メッツのエース、アル・ライターによると、「マイク・ピアッツア捕手がマウンドへ来て「ベンチュラがディナー・パーティーを計画してるんだけど、行くかい?」などという会話もするんだ、「BULL DURHAM」みたいだね、あは、あは、あは(笑)」ということである。また、エピのノーコンぶりは、ものすごいワイルドピッチで、マスコットにも当てたりと大げさに描かれて、当時は笑いをとったはずだが、セントルイス・カーディナルスのリック・アンキール投手、ヤンキ―スのチャック・ノブロック選手などが出現し、もっとワイルドな投球や送球で悩んでいる現在、笑えないシーンになってしまった・・・。
エピがめでたく昇格した後、クラッシュはクビになるのだが、最後にスーザン・サランドンに、来シーズンは監督になるかもしれないというのも、エピを育てたことがちゃんと評価されたということで、マイナーでの経験を買われて監督、コーチになるのが当たり前のアメリカのプロ野球らしい締めであった。
ちなみに若手投手役のティム・ロビンスと、野球教の信者つまりグルーピー役のスーザン・サランドンは、この共演がもとでカップルになったが、サランドン嬢のほうが10歳年上で、他にも年下の男性とのラブ・ストーリーに出演していると、故淀川長治氏が「厚かましいですね」と解説されたことを思い出す。
サランドン嬢、ここでは本業は英語教師のグルーピーであったが、そういえば90年代前半頃、「モーガナ」と称する、派手なブロンドのカツラを被り胸も大きくした女性が、あちこちのスタジアムに出没してゲーム中にグラウンドへ飛び出し、選手に抱きついてキスを奪っていたことがあった。解説の藤沢氏によると、本業は教師で予告して登場することもあったという(CNNでもリポートしていた)。「被害者」は、ホゼ・カンセコなどその頃の中心選手で、たしか92年のデトロイトでの開幕ゲームで当時のトロント・ブルージェイズの捕手、パット・ボーダーズを襲撃していたのを見た覚えがある。ボーダースは、そのシーズン、ワールドシリーズで大活躍、シリーズMVPに輝いたように、選手たちには、彼女のおかげでツキが良くなると迷惑どころか歓迎されていたようだった。

MAJOR LEAGUE 3
back to the Minor
1998

その頃どん底チームだったクリーブランド・インディアンスを舞台にした前作、「メジャー・リーグ1,2」(89、94)の後、本物のインディアンスがあまりにも強くなりすぎたので、マイナーリーグのチームに舞台を移して作られたシリーズ3作目、もちろんコメディー。マイナーの選手思いの良く出来た監督とメジャーリーグの嫌味なイケイケ監督(とても現実で通用するとは思えない)との対決がメインストーリー。
「メジャー・リーグ」のお馴染み、ロジャー・ドーン(コービン・バーンセン)がミネソタ・ツインズのオーナーに就任し、AAAのBuzzの監督にそろそろ引退を考えていた旧知のベテラン投手、ガス・カントレル(スコット・バキュラ)を招聘。かくて将来有望な’ダウンタウン’アンダーソンという生意気なスラッガーがいるものの、ものすごいベテランのおやじ選手、ヨガもやるバレエからの転身選手、理屈っぽい変化球遅球投手、双子の内野手、スローイングが出来ないループ捕手(2にも登場)からなる、かなりユニークなチームを率いることになったガスは、絶望のあまりに「たったひとりでいいからまともな選手を、さもなくば死を」とグラウンドで神に祈っていると、無情にも打撃練習中の打球が頭に直撃して昏倒。気が付くと目の前には「1,2」でお馴染みのペドロ・セラノが(彼がまともな選手だとは・・・)。しかし彼の加入で、やっとゲームらしいゲームが出来るようになり、3連勝。次にバスでの移動中にタカ・タナカの経営するミニゴルフ場を通りかかり、事業に成功しても心の平和がないタナカをチームに加え、だんだんと野球チームらしくなって来た?!(1,2には登場しないガスが、ファンにはお馴染みとはいえ、ドーン、セラノに、ループ捕手、タナカとも知り合いとは、ちょっと強引な気も・・・?)
で、ちょうど2日間のオフだからとドーンにミネアポリスへ招待され、若い頃の(コービン・バーンセンの)肖像画のかかったオーナールームで、「ひとりはもっとテレビに映りたくてNY行きを希望し、2塁手とショートは契約しているスポーツメーカーの待遇の違いがもとで険悪、1ヶ月以上もダブルプレイなし」と、どん底ツインズの話を聞かされるが、いかれた監督レナード・ハフとの酒の席での売り言葉に買い言葉から、シーズン中にもかかわらずメジャーチームとマイナーチームの対決が実現することになった。
このガス・カントレル監督対ツインズのハフ監督は、あまり感情を表に出さないアンダーマネージャー、大げさに感情を表すオーバーマネージャーの2種類のタイプの監督の極端な例として描いてあるようだ。
ゲームの方はあと1球で延長戦のところを、プライドが粉々寸前になったハフ監督がドームの電源を切らせてしまう嫌らしい幕切れで、ゲーム後、ガス監督は単なる話題作りと見抜きまだはやいと反対したが、ドーンは’ダウンタウン’をツインズに昇格させてしまうのだった。で、彼が抜けるとBuzzは負け出し、監督がみんなで助け合えと命令するとチームがまとまるようになった。’ダウンタウン’は、結局またマイナー落ちでBuzzに復帰、ガス監督のトスバッティングの特訓の成果もあり、一発狙いからアベレージヒッターへと変身していった。ガス監督、はっきりいってお笑い抜きの、実にまともなプレイヤーズ・マネージャー、コーチぶりである、かっこいい。
で、またガス監督がテレビリポーターのインタビューでキレて宣言したことで、「自分の1年分の給料を賭けて〜」今度はBuzzのホームグラウンドでツインズと対戦することになった。集中力を高めるため、黒頭巾を被ってタナカにバッターボックスに導かれるセラノ(ブードゥーマジックブラザースだって)、放送席の1,2でもお馴染み(じつはもと選手で、現役のミルウォーキー・ブリュワーズの03年野球殿堂入りのラジオ実況アナ)ボブ・ユーカーも頭巾を被って実況するところが笑える。ツインズには、ごっつい金のネックレスをしてリポーターをバットを持って追いかける、体型はエリック・ヤング、根性はアルバート・ベルといった感じの、’狂犬’カルロス・リストンというスラッガーがいるのだが、彼とBuzzの投手との息詰まるやり取りはちょっと見物であった。
私見ではあるが、「1」では、意表を突いたバントが内野安打になる幕切れだし、「ミスター・ベースボール」でもチームプレイならバントをしろと、言いたいことはわかるが、ここでも゜ダウンタウン’が「ここはバントかなあ?」とガス監督に聞いたときはまたかと思ったのだが、「一発狙っていけ」という意外な答え、’ダウンタウン’は見事に期待にこたえ、さよならホームランでBuzzの勝ち。ガス監督はツインズの監督にとドーンに懇願されたが、まだ若い連中に教えたいことがと断わり、恋人とハネムーンに去っていくのだった・・・(野球人なら、最高峰のMLB監督になりたくないはずないのに、嘘っぽい幕切れだ)。

このガス監督役のスコット・バキュラはちょっと濃いが優しそうな感じ、かつコミカルな雰囲気も持っている人で、「Quantum Leap」TVシリーズで有名なのだが、WOWOWの日本語版ではTVシリーズと同じ安原義人氏の吹き替えだったので、まさに彼の雰囲気ぴったりで嬉しかった。バキュラは、新作シリーズ「エンタープライズ」の艦長役に決定したので、日本で放送されるときもぜひ安原氏にお願いしたいものですわ〜。
尚、この映画には本物のメジャーリーガーは出演せず、テクニカルアドバイザー(私の知らない人)は、CNNのショウビズリポートのスコット・バキュラのインタビューによれば「変なプレイをすると、オレのせいにされるんだから、しっかりやれよ〜」と俳優達にゲキを飛ばしたそうだ。余談だが、ペドロ・セラノ役のデニス・へイスバートは「ミスター・ベースボール」でも、笑うと可愛い中日ドラゴンズの先輩外国人選手役だったが、「メジャー・リーグ1,2」では全然笑わないので、同一人物だと気が付いたときは、びっくりした・・・。

THE FAN
1996

ロバート・デニーロ主演 、元フィラデルフィア・フィリーズのジョン・クラック、FOX SPORTSの実況でおなじみのスティーブ’サイコ’ライオンズが出演。カル・リプケンJr.がベースボールコンサルタントを務めた。
 アトランタ・ブレ―ブスからサンフランシスコ・ジャイアンツへ多額の契約金で移籍してきた地元出身のスラッガー、ボビー・レイバーン外野手に付きまとう、熱烈なジャイアンツファンでナイフのセールスマンのロバート・デ・ニーロの怖いストーリー。レイバーンの加入でチームにもとからいるホアン・プリモ外野手は、センターからレフトに回され打順も後になり、レイバーンが固執する背番号11も譲らないのだが、開幕ゲームで外野フライを追って二人が激突、レイバーンはケガをおして出場し満塁ホームランを打ったのだが、その後スランプに、逆にプリモは絶好調で大活躍しているのが、デニーロには気に食わない。
本物の野球ファンは、誰が活躍してもチームさえ勝てば良いものだが、映画の中ではジャイアンツのペナントレースの成績については、一言も触れられない。それに移籍してきた選手よりも、生え抜きの選手の方を優先するのが普通だが、デニーロが野球ファンになると、そういう常識はまったく通用しないらしかった。
開幕ゲームも、再婚している元妻のところにいる見るからにひ弱な息子を連れて行くのはいいのだが、息子そっちのけで自分だけ楽しんでいるし(ファウルボールを追うところがすごい!)、ひたすらレイバーンへのストーカー行為がエスカレートして行き、彼の家に入り込んで、アトランタ・ブレ―ブスのユニフォームを着て喜んでいたのは、正気でないとはいうものの、ジャイアンツウォッチを身に付け、愛車のナンバープレートまで「GIANTSWIN」で決めているコテコテのサンフランシスコ・ジャイアンツファンのすることではないだろう。また、デニ―ロが、二言目には「ク―プが〜と言った」と信奉し、最後に登場するリトルリーグでバッテリーを組んだ捕手が、なんと左利きだったのも呆然とした・・・。
 ボビー・レイバーンはバリー・ボンズをモデルにしているのは明らかだが、なにしろウエズリー・スナイプスは、「メジャー・リーグ」ではウィリー・メイズ・ヘイズ役、小柄な体型なので長打力のあるスラッガーには見えないし、いくらボンズがモデルだといっても、チームメイトの影も見えず、エージェントとばかり一緒にいるなんて、個人競技の選手じゃないんだから・・・。やはり「VIDEO MOVIE GUIDE」では、脚本が悪いと評されていた・・・。
ま、コウガンのがんを克服後引退したジョン・クラックが、現役の時と変わらぬ体型で元気そうに登場していたのと、MLB界が誇るおかしなヤツ、現役時代に1塁に出塁したときに思わずズボンを降ろして土を払ったことで、’サイコ’と仇名されるスティーブ・ライオンズが解説者として出演しているところだけしか、MLBファンには見どころがないのでは・・・?

Soul Of The Game
1996

 ニグロ・リーグの大スター、サッチェル・ペイジ投手とジョシュ・ギブソン捕手をメインに、カラーバリアを破った初の黒人大リーガーであるジャッキー・ロビンソンのブルックリン・ドジャース入り直前の様子を描いたHBO製作のテレビムービー。
 サッチェル・ペイジは年齢不肖で有名だが、1945年当時からそうだったらしい。またジョシュ・ギブソンは頭に受けたデッドボールの後遺症か、感情のコントロールが出来なくなり異常な行動をとることもあったが、2人ともすでにニグロ・リーグでは確立された大スター選手なので、自分の実力を白人ばかりの大リーグで見せつけたいという野望があり、球場にも大リーグのスカウトの気配を感じる昨今、はやく大リーグ入りをと少々焦り気味だった。一方、大リーグのブルックリン・ドジャースのオーナー、ブランチ・リッキー会長も黒人選手の実力を認めていて、大リーグとしても将来的に無視できないことを見通し、ドジャース優勝のために良い選手を他のチームに先んじて得たいと考えていた。で、まずニグロ・リーグのチームを持ちスカウトを派遣して、最初の黒人大リーガーにふさわしい実力と人格をもつ選手を調査していたが、ペイジ投手は大スターとしてふるまい、ゲームに遅れて到着、真剣勝負ではな野手を全員下がらせ、ワンマンショーのようにジョシュ・ギブソンと対戦。ジョシュ・ギブソンも、チェンジアップを片手で場外ホームランする実力の持ち主ながら、恋人とは不倫の間柄、精神病院への入院歴疑惑、ニューヨーク市長との会話でキレたりと、野球の実力はともかく、最初の壁を突破する人間としてはふさわしくないようだった。ということで、塁に出れば必ず生還するほどめっぽう足が速いうえに、野手を下がらせたペイジ投手に逆らって守備につくと言い張る根性もある、名門大学UCLA出身で陸軍の退役将校の真面目なジャッキー・ロビンソンに、白羽の矢が立てられたのだった。
 ブランチ・リッキー会長は、ロビンソンに「3年がんばって世論を作れば、君に石を投げた人間を蹴飛ばせるようになる」と説得するが、「大リーグ、もうひとつのアメリカ史」や他で読んだ話では、ここでリッキー会長は、具体的に差別的な暴言の数々をロビンソンに向って言い、これだけの屈辱にも相手を殴ったりせずに黙って耐えられるかと言うと、「自分にお金を賭けてもいい」とロビンソンは請合ったという、感動的で有名なシーンのはずなのに、かなり拍子抜けだった。またロビンソンが軍隊時代に「人種差別したバスの運転手を殴った裁判で勝訴した」とセリフにあったが、「白人女性の隣の席を立って後ろの席に替わるのを拒否して軍法会議にかけられたが、起訴は取り下げになった」のが歴史的事実のはず、それにロビンソンが優等生なだけで個性のないキャラクターなのも、物足りない感じがした。
 最後は、20年の歴史がある大リーグ対ニグロリーグ(ニグロリーグが勝ち越しているという)のオールスター戦で、大リーグのスカウト達も来るからと、入院中のジョシュ・ギブソンをペイジとロビンソンが一時退院させて参加させるのだが、無情の雷雨でゲームは中止になったのだった。ストーリーは1954年のワールドシリーズで、若きウィリー・メイズが子供の頃、彼らに会ったというインタビューから始まり、ときどきメイズ少年がファンとして登場し、最後は中止になったオールスターゲーム時に、夭折したジョシュ・ギブソンと握手をした想い出で締めていた。
 尚、ジャッキー・ロビンソンは、「LA LAW」でUCLA→ハーバードロウスクール出身のエリートで、鼻っ柱の強いジョナサン・ローリンズ弁護士役だったブレア・アンダーウッドが演じていたのだが、ジョシュ・ギブソンの精神病院に飾られていた数枚の肖像画のうちの1枚が、なんと「LA LAW」の、マッケンジー・ブラックマン事務所の創設者として永年ダグラスJrの部屋に飾られていた、ダグラス・ブラックマンSr.の肖像画だったのは、なんとも・・・。また、ブランチ・リッキー会長役は、「ザ・プラクティス」で一時準レギュラーだったピアソン教授役のエドワード・ハラマン、コミッショナーは、「Xファイル」のディープスロート役の俳優が演じていた・・・。あまり野球のシーンはなかったせいか、本物の野球選手は登場しなかったのは、残念。
 ☆余談ですが、数年前に「ラリー・キング・ライブ」にゲスト出演したNBCのアンカーマン、トム・ブロコウは今まで会った有名人のなかで誰が一番印象的かと聞かれて、「この仕事をしていると、会いたいと思う人にはたいてい会ったが、しかしスタジオに入ってきたロックフェラー上院議員の後ろにいた人を見たときは、われを忘れて走って行き、上院議員を突き飛ばして握手を求めました。ジャッキー・ロビンソンは少年時代の私のヒーローでしたから・・・」と、50代後半のブロコウ氏が、まるで昨日のことのように瞳を輝かせて語っていたのを見たことがあります。

LITTLE BIG LEAGUE
1994

出演 ケビン・エルスター、アニマル・レスリー、ケン・グリフィーJr、ルー・ピネラ、ミッキー・ティトルトン、サンディー・アロマ−Jr、カルロス・バイエガ、エリック・アンソニー、アレックス・フェルナンディス、ポール・オニール、ティム・レインズ、ウォリー・ジョイナー、デイヴ・マガダン、ラファエル・パリメイロ、イヴァン・ロドリゲス、レニ―・ウェブスター、ランディ・ジョンソン、ディーン・パーマー、クリス・バーマン(ESPN)ルーク・エドワース、ティモシー・バスフィールド、デニス・ファリナ、ジェーソン・ロバーツ
 
 やたらと野球のルールに詳しい12歳のビリー少年が、祖父の遺言でミネソタ・ツインズのオーナーを継承。以前から態度の悪かった監督が、昔もめたことがあるという理由でリッキー・ヘンダ−ソン獲得に反対したことから解任してしまい、以後、ビリー少年がオーナー兼監督を務め、豊富な野球知識やリトルリーグ仕込みの奇策を駆使した作戦で低迷するチームの選手達の信頼も得て連勝し、ついにシアトル・マリナーズとワンディ・プレイオフで優勝を争うというストーリー。
なぜかツインズの選手はひとりも出演しなかったが、アメリカン・リーグの他チームの選手が続々と出演。マリナーズのランディ・ジョンソンがクライマックスにリリーフで登場するシーンは迫力満点だし、グリフィーJrが俳優として出演していたケビン・エルスターと意味ありげなウインクを交し合うシーンは、笑える。しかしトリックプレイでアウトをとられた
ピネラ監督が、いつものようにベンチを飛び出し審判にかみつくかわりに、クールに「やられたか」程度のセリフなのは、本物のツインズのトム・ケリー監督がメジャーリーグ最高レベルの監督なのに、デニス・ファリナ扮する怒鳴ってばかりの無能なオファレル監督(マイク・ディトカとの写真を飾っていた)だったのと共に、大変リアルさに欠けた演出だったと言わざるを得ない・・・。
 また、メッツ時代からケビン・エルスターは、MLBきってのハンサムボーイでハリウッドでも通用するとは思っていたが、この映画ではスローモーションで2塁にトスするプロの遊撃手の守備や本物の走塁を見せ、ルックスの良さと特技を余すところなく発揮していた。しかし1998年のシーズン、彼がテキサス・レンジャースで現役復帰して活躍後、ケガでDL入りしたので、チームはセントルイス・カーディナルスからロイス・クレイトンを補強したのだが、レンジャースの投手達は口々に「ケビンの悪口を言う気はないけどさ〜」と、クレイトンの守備のうまさに感心しきりだったことを付け加えておこう。

THE SCOUT
1994

出演 ジョージ・シュタインブレナーV、ボブ・コスタス、ティム・マッカーバー、キース・ヘルナンディス、ブレット・セーバーへーゲン、オジー・スミス、リック・アリセイヤ?、ボブ・テュークスベリー、
アルバート・ブルックス、ブランダン・フレーザー

 キングコングのような新人選手の発掘を夢見る、NYヤンキースのスカウトのサクセスストーリー、ただしコメディー。
 大学卒業までプロ入りしないという信心深い大学1年生投手を、たぶらかすようにしてヤンキース入りさせたものの、緊張のあまりメジャーデビュー戦でトンズラ。その罰にメキシコの田舎へ出張させられたが、そこでキングコングのようなエースで4番を発見。ヤンキース入りを承諾させるが、スカウトはヤンキースをクビになり、全チームのGMらに入札させることに・・・。
で、デモンストレーションの相手として呼ばれたのが、元メッツのK・ヘルナンディスと当時メッツのB・セーバーへーゲン。金に汚いメジャーリーガーを上手に演じていた・・・。それ以上に有名なシュタインブレナーオーナーが、彼自身いや嫌らしいオーナーを演じたのは、笑えないほどリアルだった。キングコング君は、もちろんヤンキースが史上最高額で落札!しかしスカウト転じてエージェントが、もうシーズン半ばなので、来シーズンからのつもりで冗談でワールドシリーズでデビューさせると言ったから大変。この「ヤンキースが優勝したら〜」というひとことが記者団の爆笑をさそったのは、印象的、弱かったことを思い出させてくれた。しかしキングコング君は単なる野球バカ、野生児かと思えば、精神分析医の診断では、子供の頃の虐待に起因するトラウマにとらわれていて、デビューは無理だという。スカウトは、自分のアパートで息子のように面倒を見ながら、またなんとかだまくらかしてデビューさせるのだが、やはりヤンキースタジアムでのワールドシリーズ第1戦でのデビューの日、びびってしまいトンズラ。それもキングコングらしくスタジアムの屋根の上に篭城したのを、スカウトが説得(ここがほろりとさせる見せ場)。で、ゲーム前のイベントとして迎えに来たシュタインブレナー所有のヘリで(そういえば数年前のプレイオフで、雨でびしょびしょの外野を乾かす為に使ったことがあった)マウンドに降り立ち、ものすごい速球で全27アウトを三振で取り、打っては場外への特大ホームランの大活躍という、野球としては面白味にも現実味にも欠ける、キングコングのワンマンショーになった。
 ちなみにこのときの相手チームはセントルイス・カーディナルス。当時の在籍選手リック・アリセイヤ?ボブ・テュークスベリー、そしてオジー・スミスが登場した。実況は豪華にボブ・コスタスとティム・マッカーバーが担当。尚、国歌は、ライブでは国歌を歌わないので有名なトニー・ベネットだったが、この映画がきっかけで、その後本当にヤンキースタジアムでのワールドシリーズで国歌を歌ったという。
しかしいくら映画だといっても、8月31日までにそのチームでプレイしていない選手は、ポストシーズンには出場できないことと、ヤンキースタジアムはDH制なので、投手は打席には立てないことくらいは野球ファンなら誰でも知っているので、もうちょっと実現しそうなストーリーを考えてほしかった。ちなみに、この映画が封切られたとき、プロデューサー兼主役のアルバート・ブルックスはCNNのショウビズトゥディのインタビューで、「あまりに嫌らしいスカウト像で、本物のスカウトに嫌がられないか?」と聞かれていた・・・。


MAX DUGAN RETURNS
「キャッシュマン」1983   

主演 マーシャ・メイソン、ジェーソン・ロバーツ、ドナルド・サザーランド、マシュー・ブロードウィック、チャーリー・ラウ、キーファー・サザーランド 

ニール・サイモン脚本の舞台劇の映画化。

 教師をしてつつましく暮らしている未亡人と中学生の息子の家に、ある日、理由ありの祖父が、トランクいっぱいのキャッシュを持って、28年ぶりに帰ってくるのだが。やばそうなキャッシュなので、父のプレゼント攻勢を必死で断る娘、実は知り合ったばかりの彼女のボーイフレンドは刑事なので、デート中にバッグに札束が入っていたり、プレゼントの高級車を見られたときの大慌てぶりで笑わせる。また、リトルリーグでまったく打てない孫息子のために、大リーグの打撃コーチを雇うのだが、舞台がシカゴのせいか、レジー・ジャクソンでもハンク・アーロンでもなく、チャーリー・ラウコーチというのが、渋い。ちなみにこのときチャーリー・ラウは、ラルーサ監督に乞われてシカゴホワイトソックスのコーチをしていたが、数年後亡くなったので、貴重な映画だと思う。
Charlie Lau Style または共同開発者のWalt Hriniakの名もとって、Charlie Lau,Hriniak styleと呼ばれる打法を考案した名コーチ。ウェイド・ボッグス、ジョージ・ブレット、フランク・トーマス、ロビン・ベンチュラ、そしてマーク・マグワイアも取り入れたという打法を、若きマシュー・ブロードリックに伝授するシーンは、必見。

ANGELS IN THE OUTFIELD
エンジェルス 1994
1931年の同名映画のリメイク

じつはエンジェルスのホームのエジソンフィールドではなく、オークランドコロシアムで撮影された。テクニカルアドバイザーは、レッドソックス、エンジェルス、そしてアスレティックスで活躍したカーニー・ランスフォードがつとめた。撮影は前年のワールドシリーズ中だったので、ベテラン投手役のトニー・ダンザによると、球場のスコアボードの大スクリーンでゲーム中継をカーニーの解説付きで見せてもらい、「もう、最高だった」そう。カーニーはクライマックスの敵のホームラン王役で登場したが、もともとこわい顔(失礼)なのに、そこまで遊ばなくても、と思うほど、顔には向こう傷、腕には「HIT OR DIE」の刺青で凄味をつけていた。しかし、現役時代のほうが真剣でこわい顔してたのよ。
そしてオークランドコロシアムにカーニーとくれば、期待どおりラストには、当時のアスレティックスのトニー・ラルーサ監督が、ご一家でカメオ出演をされていた。観客全員がエンジェルの翼のポーズで応援するのだが、VIPルームといった感じのところで、2人のお嬢ちゃんたちと神妙にポーズをされていた。


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