れいんぼーちよちゃんのファミリ―ルーム


 こんにちは。ここはれいんぼ〜ちよちゃんのファミリ-ルームです。

 れいんぼ〜ファミリーの紹介です。

 れいんぼ〜パパ1963年生まれ 

 れいんぼ〜ちよちゃん1968年生まれ     

      ゆうや 1990年 6月生まれ
     
      あゆ  1997年12月生まれ

      りん  2000年 1月生まれ

      
ゆうやは1990年6月21日に兵庫県姫路市の産婦人科で生まれました。
3日かかった難産で、おなかの中で心音が止まってしまいました。
すぐに蘇生され、ベビーセンターへ救急車で運ばれましたが、始めて抱いたときから障害児でした。


この写真は初めてゆうやを抱っこしたときのもので、看護婦さんが撮ってくれました。
ポラロイドだから10年も経つと色あせてしまってますが、
この写真があったから、今までがんばれていると思います。
鼻の管、点滴のあと、つきたてのお餅のように低緊張でこぼれおちそうな身体。
それでも生きて抱っこできてよかったと思ったんです。



ゆうやは仮死の為か脳萎縮があり、はじめはそれが原因で発達が遅いのだと思っていました。

大きくなるにつれ、いろんな症状が見つかり、染色体異常を伴う障害
『プラダーウイリー症候群』の可能性があることがわかりました。

今までいろんな染色体検査をしていますがはっきりと異常は出ていませんが
ドクターが説明してくれた症状は大体当てはまるのでプラダーだと思います。

ゆうやは6ヶ月を過ぎてやっと首が座わり、1歳2ヶ月でおすわり、1歳6ヶ月でつかまりだち
はじめて歩いたのは2歳の誕生日を過ぎてから。アパートの前で近所の人と話しをしているときで、
その時居合せたすべての人が拍手喝采!あの感動は忘れられませんね。
ゆうやはてんかんの発作があります。発作が続いたときは歩けなくなって心配した時期もありました


歩けるようになった。遅いなりにもみんなに追いついた。
良かった良かったこれで・・・・甘かったです
ゆうやは療育手帳A判定です。

障害児の通園センターに通っていましたが、地域の中で育てたいと保育園探しを始めたのですが、
近所にたくさん保育園があるにもかかわらず、「前例がない。発作のある子はちょっと・・・」と
受け入れてくれません。「何のための社会福祉法人?何のために公の認可受けてるの?」

正直言って障害児を育てるのって普通じゃないんだと、この時思い知らされました。
ところがこの問題はあっさりと解決してしまうのです。
主人が会社の人から情報をもらい、恐る恐る電話をかけたのですが
(ここを断られたら後がないという覚悟でした)
「はい、いらしてください」
「へっ・・?・・あの・・いいんですか?」
「はい、どうぞ」
何度も何度も聞いたと思います。園長先生ほんとにありがとうございました。
その園は認可は受けていませんが、園長先生の教育方針はすばらしく
保育士の先生、たくさんの園児、そしてお母さん方の協力により
楽しい2年間を過ごしました。
認可のあるなしで判断していた私は未熟でした。

その園には幼稚科がなく、園児は皆、公立の幼稚園に通います。
ゆうやと私たち夫婦は、校区内の公立幼稚園に面接に行きました。
入園は認めてもらったのですが、条件がありました。
「お母さんがいっしょに通園する」

幼稚園の園舎の向こうに見える小学校。毎日通う励みになりました。
でも初めの数ヶ月は、精神的にも辛かったです。ゆうやも辛かったと思います。
保育園では自由に遊べたのに、一日中お母さんの目が光っているのですから。

1年間、親子でいろんなことを経験しました。遠足、キャンプ、プール楽しかったです。
あの一年は大変だったけど、私にとってゆうやを再認識できた貴重な時間でした。

そして最大の関門の小学校入学!
養護学校を薦められました。しかーし、簡単に「はいそうですか」とは言いません。
私たちは今までこれだけの事をしてきたんだ!と胸をはれましたから。

平成9年4月 姫路市立小学校障害児学級に入学しました。

小学校では幼稚園でいっしょだったおともだちが、ゆうやのことを遠まきに見ている子達の
橋渡し役になってくれました。
いろんなことがありました、トラブルもケガも、先生との意見の相違も
でも子供たちの中で、にこにこ笑っているゆうやにとって、今の生活が一番だと信じていました。

アパートを出て校区内に家も建てました。ゆうやの事を知ってもらう、そしてゆうやと私たちの生活
そのための地盤は少しづつできあがり、しっかりとしたものになりつつありました。

知的障害の重いゆうやは、学年があがるにつれて交流もむずかしくなり、
今のまま6年間通い、卒業式を迎えることは、ゆうやにとって良いことなのだろうか・・・・。
そして私たちはゆうやに「次のステップを」と考えるようになりました。

学生でいられる期間はどんどん短くなる。私たちは何度も話し合いました。
「ゆうやに生きる力を身につけさせたい」

平成12年4月 兵庫県立姫路養護学校に転校しました。

ゆうやは新しい生活に、すぐなれてくれました。
転校したことで、私たちはゆうやにもっと期待してもいいのではないかと思い始めました。
だからと言って始めから養護学校にしておけば・・・なーんて思いません。
両方の良いとこどりできて、私たちはとってもラッキーです。
いろいろあったけど今思えば、すべてよい経験です。親子ともどもね!

お箸は使えませんが、食事は自分で食べられます。
おしゃべりはできませんが、口真似をするようになりました。
トイレは失敗もありますが、少し介助すれば自分でできます。

いつもニコニコ笑顔のゆうやですが、そろそろ遅い反抗期に入ったらしく、
急に怒ったり泣いたり感情表現がうまくできないようです。
力が強いし体重も重いし(125cm41kg)私たちの体力が、どこまでもつかが問題です。

大きくなるといろいろ大変なんですね・・・・

長い間、一人っ子だったので妹が生まれた時はゆうやなりの葛藤がありました。

そして、もう一人妹が生まれたのですが、今回はがんばって短期間でクリアーしてくれました、
しかし、なれというのは怖いもので、おもちゃにしてます


2年前からメガネをかけているのですが、食事のときは外してしまいます。
かわいい(?)妹たちと「はいチーズ!」


これからも、いろんなことがあると思いますが、家族でがんばり過ぎないように歩いていきます。
先は長いですし、根がずぼらなもので・・・・・

 皆さんこんな、れいんぼ〜Mファミリーをよろしく! 

             2001年