「荒城の月」
土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲


春高楼(こうろう)の花の宴(えん)
巡(めぐ)る盃(さかずき)かげさして
千代(ちよ)の松が枝(え)わけ出(い)でし
昔の光いまいずこ

秋陣営(じんえい)の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照りそいし
昔の光いまいずこ

いま荒城の夜半(よわ)の月
替(かわ)らぬ光たがためぞ
垣に残るはただ葛(かずら)
松に歌うはただ嵐(あらし)

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「荒城の月」の歌の意味(その1)

1.
春には、もとここにあった城の中で、にぎやかな花見の宴がはられたにちがいない。はずむ声。笑い、そして酒をくみかわす盃……。
そして、城壁の大きな松の枝あいからは、月の光がさしこんでいたに違いない……。そんな、昔の面影はどこへいったのだろうか。

2.
秋は秋で、戦いにそなえて、陣営の中は、ぴーんと張りつめたふんいきであろう。
その空には、渡る雁の姿も見えていて……。よろいに身をかためた武士たちの、槍や刀をそっと照らしていた、あの昔の光は、どこにいってしまったのだろうか。

3.
いま、月は昔と変わらぬ光を投げかけているが、荒れ果てた城あとには人の気配もない。
垣には、ただ葛が生い茂り、松の枝を鳴らしているのは、さびしい風の音だけだ。

4.
大自然の移りゆきは少しも変わらないのに、人の世は栄えたり、亡びたりをくりかえしている。
その人間のはかなさを告げようとでもいうのだろうか。荒れ果てた城に、いま、月の光はこうこうと降りそそいでいる。

                                 
「教科書に出てくる歌のことば図鑑・5年生の歌」(ポプラ社)より
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「荒城の月」の歌の意味(その2)

月明の夜に「荒城」あれはてた城の前に立って栄枯盛衰の感慨に耽っての発想がこの詩となっているのであります。
この詩の大意は、毎年春になればこの城の領主は「高楼」(たかどの。やぐら)で桜の花見の宴を催した、そして、年毎にめぐりくる花の宴も、「盃かげさして」盛大でなくなり、「千代の松が枝」茂り栄えたその枝の向こうから月の光りが照してた、そのような領主の勢威も今はもう過ぎ去った日のこととはなった。
領主が盛んなりしころは、秋の夜、白い霜のおりる夜、鳴きわたる雁も二羽三羽、五羽六羽、十二三羽と列をなして、折から英気を試すために陣営にあった領主が抜き放つ日本刀のやいばに照る月光のかがやき、その領主の勢威も今はもう返らぬものとはなった。
夜ふけの荒れはてた城の上に今夜も月が出ている。その月光は遠いむかしも今も変りはない。この月光は盛者のためにのみに照りそえているのではなかったのだ。ああ盛者必滅、今この荒城の石垣にのこるはただ蔦かつら、石垣からのぞく松に声なし、風に音なし、相ふれて栄枯盛衰の悲哀を歌っているのだ。

                                    
船木枳郎著「日本童謡童画史」(文教堂出版)p.140より。
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