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雛見沢巡礼30回目(平成19年11月5日)


某所の旅帳への記帳。つづりが間違っていることに今気付いたorz
正しくは「appearance」でした...

 先週行ったばかりですが、どうも合掌集落内の紅葉がまだだったということで今週も性懲りもなく行ってしまいました。
 結論から言いますと、紅葉全開まであとわずかといったところ。荻町合掌集落内の本覚寺のもみじの紅葉全開なところを見たかったのですが、どうやら今年はお預けっぽいですね(残念)
 さてさて、いつものように午前4時ギリギリにETCゲートをくぐり、高速道路をひた走って雛見沢もとい白川村へ。今回が巡礼30回目の伏目ということで神様の祝福があったのでしょうか、先週とは違ってかなりスムーズに走れました。で、午前7時ジャストに荻町城址(梨花ちゃんの秘密の場所or出題編のタイトル画面)に到着。家を出てからおおよそ3時間10分。これまでの記録を5分縮めることに成功。(走行距離約390km。よい子は真似をしてはいけません...)
 途中、道路わきの温度計を見ていると御母衣ダム付近で最低気温3℃をマーク。荻町はまだましとは言っても、吐く息はどこまでも白く、本気で手がかじかむ始末でした。

電脳キリに煙る雛見沢

「電脳コイル」見てないとこのネタは分かりませんねw
そりゃもう雛見沢は古い空間だらけですから、
電脳キリも大量発生しています(ぉ
しかし、寒かったです。。。


診療所をこっそりと...

公式HPの写真掲示板に不眠野郎様が投稿された写真への
オマージュです(笑) 坂道を下りながら適当に撮影。
山狗視線かと思いきや、富竹救出部隊視線だったんですね。
確かにそっちの方がしっくり来ます。
 村内の撮影は早い時間帯に限ります。(無論、マナーは守った上での話ですが)あっちやこっちを撮影し、今日の目的の一つでもある「圭一とレナの待合」もとい本覚寺へ。


圭一とレナの待合場所

う〜ん、見ごろはもうちょっと先ですね。

ちなみに右が昨年度の写真です。
(撮影日:2006年11月13日)


11月の園崎家

先週と比べてみると面白いかも...
写真なので赤が引き立ちますが、実際にはもう少し彩度が低いです。
  
その他、秋を感じる写真を数点アップしておきます。
(左)長瀬家の裏   (中央)民家園内   (右)園崎家のモデルを別角度から
 さて、今回の最大の目標は「ひぐらしのなく頃に」という作品とはあまり関係ないのですが、白川村の奥地にある古い集落跡(加須良集落)を見に行くことでした。
 ひぐらしの聖地巡礼に行かれた方ならば、誰もが「合掌造り民家園」を訪れることと思いますが、そこに展示されている中野義盛家(集会所内部のモデル)、中野長治郎家(園崎家のモデル)、および東しな家の3つはもともとこの加須良(かずら)にあったものを移転し、保存公開しているものです。ですから、あながち無関係というわけでもないようですね。ちなみに、過疎の波に打ち勝てず加須良集落の方々が集団離村されたのが1968年ということですからおおよそ40年前から無人の地となっているわけです。集団離村といえば、加須良と山一つ隔てた桂集落(こちらも「かずら」と読むのだとか)も有名ですが、7月のレポートでも紹介しましたように今ではダム湖の底に沈んでいます。(最近は水位が下がって集落跡が水面上に顔を出しています)
 この加須良集落への行き方ですが、7月のレポートで紹介しました桂ダムを一番奥まで行きますと、1本の橋(桂橋)があります。この橋を渡ると山道につながるわけですが、この峠道(おのえ峠)を越えていけば加須良にいけるのだそうです。
 資料(海野金一郎先生著「孤村のともし火」)によると、歩いて1時間もかからない道のりということですが、この辺りは以前は熊狩りなどもやっていたようで、ちょっとドキドキしながら入山。道は幅が広く、車のわだちがしっかりと残っており、安心して歩いていくことが出来ました。


桂橋から桂集落跡を撮影

集落跡の上の道際に記念碑が立っており、
離村せざるを得なかった方々の無念が
伝わってくるような気がします。


峠道と看板

上の写真は峠道の最高地点。
以前はここから左側へ尾根伝いに小白川集落へ
通じる道があったのだそうです。
蓮如上人もお歩きになられた道とのこと。
で、看板にしっかり「熊」って書いてあるし...

 そんなこんなで、最高地点を越えて下っていくと渓流の流れる音が聞こえます。(加須良川)
 しかし。道のわだちが妙にくっきりしていておそらく今日か少なくともこの2日間くらいでついたタイヤの跡だと思うのですが、いったい誰がこんな山奥まで来るのでしょう。道を下りきるとプレハブの建物が2棟あり、そこで道が左右の二手に分かれます。
 とりあえず左へ。道らしい道が尽きるその瞬間に、大木と石碑を発見!




   分岐路の左手方向を撮影。この先に石碑と大木があります。
      写真に写っている小屋はたまに使われているようです。
      おそらくこの集落跡を訪れる方々が使用されているのでしょう。


加須良合同記念碑

集団離村の石碑です。裏側には「昭和46年10月」とある。
私はまだ生まれていないようです。。。
とても昔のことなのだなぁと感じました。
(実際の離村は昭和42年の秋のことでした)


林道のわだちは、この石碑の前で途絶えていました。
石碑に供えられていたお花は新しく、周囲も人の手が
入っているようです。きっと、この集落出身の方が
定期的にいらっしゃっているのではないかと推測します。

蓮如上人の杖が芽吹いたといわれるナラカシワの大木
海野先生の本などで読んで知ってはいた
この大木を実際に目に出来るとは!
 しばし、蓮如上人ゆかりのナラカシワの大木の下で一休み。平家の落人伝説もあるというこの集落の800年という歴史に思いをはせました。
 周囲を見渡しますが、まったくの原野に戻ってしまっていて人が住んでいたころの跡はまったく感じられません。40年の空白がこうさせてしまったのでしょうか?
 一休みを終え、先ほどの分岐を逆方向に歩いてみることにしました。


加須良合同記念碑正面を撮影

資料によるとここに合掌造りの家が1軒あったらしいのですが
それを思い浮かべることすら出来ない状況です。

井戸の跡(?)と墓石がありました
苔むしたコンクリート製の区割りも残っており、
かつてここに人が住んでいたことが
間違いない事実であることを物語っています。
資料によると、園崎家のモデル中野長治郎邸が
建っていた場所なのかもしれません。

林の中に墓石(?)がありました
先ほどの墓石とは道を挟んで反対側にあります。
近くによって見ましたが、なんと文字が刻んであるのかさえ
分からない状態でした。合掌...


左の墓石の接近撮影
 道の両側にわずかながら往時をしのぶ痕跡を発見することが出来ました。私のようにたまにやってくる人を待っているのでしょうか、これらの痕跡たちに降り注ぐ陽光はとても暖かく感じました。
 さて、この道路もしばらく歩くと尽き果てます。すると、ちょうど加須良川に降りる道を発見。人に踏み固められた跡があります。(というか、かなり新しく踏み固められたのでしょう。草もさほど生えていませんでした。)
 先ほどから、すぐ近くから聞こえるせせらぎの音が気になっていましたので、早速川原に降り立ってみます。

降り立った加須良川の川原から加須良集落方向を望む
人が住まなくなって約40年間、この川は変わることなく流れ続けています。
写真には収められないほど、とてもすがすがしく美しい光景でした。
ここでしばらく休憩。川の水は、清冽でとても気持ちよかったです。

上の写真とは反対側(上流側)を撮影

水はどこまでも澄んでいます

振り向いて山を撮影

対岸を撮影

川の流れに運ばれてきた紅葉

加須良川に流れ込む小さな流れ

何かの足あとを発見
偶蹄目。。。カモシカかな???

ここへ来た記念に書き残してみたw
 本当に名残惜しかったのですが、加須良を後にして再び峠越えを。改めて感じましたが、そんなに辛い道のりではありませんでした。加須良は、「いつかはまた戻って来たい場所」になってしまいました。冬期は無理ですのでまた来年に訪れてみたいものです。
ただし、夏場は虻や蜂が多いとのこと。やはり、この時期が一番いいのかもしれません。

 そんなこんなで、聖地訪問通算30回達成。初めて訪れたのが、2005年の夏のことでしたから、およそ2年4か月経ったことになります。月に1回強のペースで訪問したことになりますw 最初の頃はうれしくて、月に2〜3回行ってましたからね。

最後に、自宅〜雛見沢を30往復(この時点では29.5往復だけど)してくれた愛車と記念撮影。
あまり、セルフポートレートは撮影しないんで変な感じです。
持ち主の無茶な運転にも耐え続けてくれる頼りになる相棒です。
これからもよろしくです。
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