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日吉神社

 鎮守である日吉神社は、古来より雨乞の神として人びとの信仰の厚い神社であり、そこに奉納される獅子舞の中に今はされていないが、雨乞の時にする梯子(はしご)獅子がある。この神社は昭和63年11月3日に本殿・拝殿を焼失したが、火災を免れた薬医門の棟の東西に一対の宝珠をいだいている鯱瓦がある。高さ約45cmで龍のような顔をした頭の上に高さ8cm程の宝珠をいだいたこの鯱瓦は全国でも例がないものである。日本における鯱瓦の出現は14世紀の室町時代以後とされ、この瓦の製作年次は類似瓦などから考えて天文年間(1532〜1555)頃のものと推定されて、現存する鯱瓦の中でも最も古いものの一つと考えられている。その上に、この鯱瓦の意義は形態からみて今まで魚類と考えられていて、水の神である龍との結びつきが実証できなかったが、この宝珠をいだく鯱瓦よりそのルーツは龍であると考えられるに至ったのである。水の神である龍に水を吐く鯱も加味して出来上がったものがこの鯱瓦であるとの有力な説の根拠となるものである。

 ※梯子獅子舞は現在、豊富町の金竹が有名ですが、その金竹に梯子獅子舞を伝承したのが福居村(別所西)である。

 当町、日吉神社は兵庫県神社誌中巻(以下神社誌)、増訂印南郡誌(以下郡誌)及び大塩天満宮『祭』によれば、福居村(現別所西)の東に賀茂明神と称し、大塩荘福居村、北宿村、小林村の三ヶ村の氏神であったが、応永の頃(1394−1428)それぞれ分離して村々に神社を建設せりとある。これが現在の日吉神社の始まりである。
 現在、神社石段下の西に「雨乞発願記念碑」が大正15年1月に建立されている。
 大正13年・昭和14年全国的な大旱魃になっているが、当町には記録は残っていない。その後雨乞の行事も絶え、梯子(はしご)獅子舞も絶えている。