プロフィール

*サンデーサイレンス

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キャンペンガール
母の父 マルゼンスキー
毛色 黒鹿毛
誕生日 1995年5月2日
生産者 門別・日高大洋牧場
馬主 臼田浩義氏
調教師 栗東・白井寿昭
主戦騎手 武豊
担当厩務員 村田浩行
生涯成績 17戦10勝
総収得賞金額 10億9262万3000円
レ−スでの走破距離 3万8900m
繋養先 社台スタリオンステーション
主な勝鞍 東京優駿(GT芝2400m)、天皇賞・春(GT芝3200m)、
天皇賞・秋(GT芝2000m)、ジャパンカップ(GT芝2400m)、
弥生賞(GU芝2000m)、京都新聞杯(GU芝2200m)、
アメリカジョッキークラブカップ(GU芝2200m)、阪神大賞典(GU芝3000m)、
きさらぎ賞(GV芝1800m)。
 1995年5月2日、母キャンペンガールがその命と引き換えにこの世に遺した名馬。それがスペシャルウィーク。
 アメリカでケンタッキーダービー、プリークネスSの三冠レース2勝など、GT6勝を上げたサンデーサイレンスを父に持つ君は、父母ともに気性が荒いことから、その気性が心配されたが、皮肉にも母が亡くなった事により牧場スタッフに大事にされたためか、とてもおとなしい馬に育った。

 白井調教師に「ダンスパートナーに似ている」と期待されていた君は、デビュー前の調教に跨った武豊騎手に「ダンスインザダークに似ている」と賞賛されるほどに成長していた。その期待通りにデビュー戦を圧勝した君は、鞍上の武豊騎手に「来年のクラシックはこの馬で」と確信させた。
 2戦目の白梅賞こそ、武豊騎手の弟武幸四郎騎手の操るアサヒクリークにハナ差の惜敗を喫したものの、3戦目では格上挑戦とは名ばかりで、きさらぎ賞をあっさりと勝ってみせた。

 次走の弥生賞では、ゴール前でキッチリとセイウンスカイを差しきったものの、クラシック第一弾の皐月賞では、終始馬場の悪い外側を走らされたためか終いのキレを欠き、2着キングヘイローにも及ばず3着と敗れた。

 しかし、「本番」のダービーでは2着に5馬身差をつける圧勝。最後の直線で、鞍上の武豊騎手が鞭を落としてしまうほどの興奮を与えた。こうして君は第65代日本ダービー馬の座を手に入れた。日高大洋牧場、臼田浩義オーナー、白井寿昭調教師、村田浩行厩務員、武豊騎手。皆さんが初めて制したダービー。おめでとう。

 順調に夏を過ごした第65代ダービー馬は、秋初戦の京都新聞杯でキングヘイローとの一騎打ちに勝利し、クラシック最後の菊花賞へと駒を進めた。しかし、セイウンスカイの世界レコードの逃げ脚に屈し、2着に甘んじた。
 菊花賞で敗れたものの、ダービーでのパフォーマンスの高さから、陣営は次走にジャパンカップを選択した。しかし、主戦の武豊騎手が騎乗停止中のため、代役にはベテラン岡部騎手が選ばれた。ダービー馬がその年のジャパンカップに出走した例は過去に2回、いずれも3着に敗れている。勝ったのは同世代のNHKマイルCの勝ち馬で、外国産馬のエルコンドルパサー。2着は牝馬のエアグルーヴ。君も過去の例と同様に3着に敗れた。

 有馬記念の出走を目指して立て直しを図る陣営であったが、主戦の武豊騎手がエアグルーヴに騎乗することが決まると、迷うことなくスキップし、翌年のアメリカジョッキークラブカップからの始動に切り替えた。

 この年の暮れ、生まれ故郷の日高大洋牧場では、悲しい事件が起こってしまった。12月15日午前1時50分頃、繁殖牝馬の厩(松風厩舎)が火災に見舞われ、19頭の貴重な血統が失われた。その中には君の姉であるオースミキャンディも含まれていた。
 しかし、そんな牧場の暗い空気を振り払うかのように君は頑張った。主戦の武豊騎手がシーキングザパールのアメリカ遠征で不在のため、アメリカジョッキークラブカップでの鞍上はオリビエ・ペリエ。調教では不安視されたものの、いざレースとなると流石にダービー馬。2着に臼田オーナーのサイレントハンターを連れてのワンツーフィニッシュ。牧場関係者も元気付けられた事だろう。

 次走の阪神大賞典、君は調教でも抜群の動きを見せ、昨年の覇者メジロブライトへ挑戦状をたたきつけた。鞍上には3戦ぶりに武豊騎手。1番人気こそメジロブライトに譲ったものの、レースでは先行して直線で抜け出す横綱相撲を披露し、後方から追い込むメジロブライトを完封した。さあ、次は天皇賞。あいつに借りを返す番だ。
 迎えた第119回天皇賞。1番人気に推された君は、好スタートからやや掛かり気味に行ったものの、すぐに落ち着きを取り戻し、3〜4番手を追走。最後の直線でセイウンスカイを競り落とすと、メジロブライトの追い込みも完封して、堂々の盾取り。内国産馬最強をアピールした。

 宝塚記念出走を前に、君の今季限りでの現役引退が発表された。白井調教師は最後まで現役続行、海外遠征を主張したが、結局オーナーサイドの要望で早目に種牡馬入りさせる事になった。しかし、出走間近になって再び海外遠征の話が出てきた。「宝塚記念に勝ったら」という条件付だったが、主戦の武豊騎手も楽しみにしていた。ジャパンカップで敗れたエルコンドルパサーに「凱旋門賞でリベンジ」というのも夢ではない。
 しかし、宝塚記念では一昨年の朝日杯3歳Sの勝ち馬で、前年の有馬記念の覇者グラスワンダーに、3馬身という決定的な差をつけられて完敗を喫してしまった。海外遠征の話もこれで水に流れた。

 秋に備えて北海道で休養を取る君だったが、この年の北海道は異例の猛暑に見舞われ、また雨も多かったことから順調にメニューを消化することが出来ず、調整は難航した。このまま北海道にいても調整は遅れるばかりと判断した白井調教師は、予定よりも早めに君を栗東へと連れて来た。しかし、皮肉な事にそれまで涼しかった栗東が、今度は猛暑に見舞われたのだ。調整は難航を極めた。
 体が出来ないまま迎えた秋初戦の京都大賞典。能力の違いで何とかしてくれるとみたのは陣営だけではなく、ファンも君を1番人気に推した。しかし、最後の直線でズルズル後退し、生涯初めて掲示板を外した。

 オーナーサイドからは、「引退」の言葉も聞かれたが、白井調教師は君の復活に賭けた。馬体重にポイントがあるとの考えを持つ白井調教師は、君に究極の調教を課していく。そして第120回天皇賞当日、マイナス16キロとスッキリした体で現れた君。しかし、前走の大敗や、大幅な馬体重減、中間の調教内容や関係者のコメントから、ファンは君を4番人気にしか評価しなかった。いや、出来なかった。鞍上の武豊騎手も半信半疑であった。が、最後の直線に賭ける思い切った騎乗が功を奏し、君は復活した。

 「内国産最強」の名前なんて要らない。復活した君は続くジャパンカップにて、凱旋門賞でエルコンドルパサーを下したモンジューと勝負した。そして勝った。これで「世界最強」のハズだった。
 引退レースとなった有馬記念。宝塚記念での借りを返すため、徹底的にグラスワンダーをマークした君と武豊騎手。ゴール前、一瞬交わしたように見えた。鞍上も勝利を確信した。しかし、写真判定の結果、わずか4p及ばず惜敗。史上初の秋のGT3連勝は、ならなかった。

 それでも、私たちファンに夢と勇気と誇りを教えてくれたスペシャルウィーク。そして大きな感動を与えてくれた君は、最高の競走馬だった。これからは、牧場での種牡馬としての生活になるけれど、君の走りは決して忘れない。そして、君の産駒たちが競馬場にやってくる日を、私たちは待っている。ありがとう、スペシャルウィーク!

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