父の紹介
*サンデーサイレンス
1986年 アメリカ産 青鹿毛
父:Halo 母:Wishing Well 母の父:Understanding
2〜4歳時、14戦9勝、2着5回
主な勝鞍  1989. 3. 19  サンフェリペH GU ダ8.5F
4. 8  サンタアニタダービー GT ダ9F
5. 6  ケンタッキーダービー GT ダ10F (2着イージーゴーア)
5. 20  プリークネスS GT ダ9.5F (2着イージーゴーア)
9. 24  スーパーダービー GT ダ10F
11. 4  BCクラシック GT ダ10F (2着イージーゴーア)
1990. 6. 3  カリフォルニアンS GT ダ9F
 
 父Haloはアメリカで31戦9勝。ユナイテッド・ネイションズH(GT・9.5F)、タイダルH(GU・8.5F)など、芝路線で活躍。産駒はダートに強い。本馬の他に、Davil's Bag(シャンペンS)やSunny's Halo(ケンタッキーダービー)、*グッバイヘイロー(CCAオークス)など。1983、89年の北米リーディングサイアー。
 母Wishing WellはアメリカでゲイムリーH(GU)を含む12勝の活躍馬。母の父Understandingは、ジェロームH(GT)2着くらいで、特に目立った成績をあげておらず、テディ系と異系度の高いことから特に良血だった訳ではない。
 現代の2大主流血脈であるNorthern Dancer、Raise a Nativeの血を一滴も含んでいないことが、*サンデーサイレンスの血統構成の大きな特徴であり、5代目までにインブリードがないことからも、配合相手を選ばない。
 現役時代の*サンデーサイレンスは、脚長で華奢な馬体をしており、1歳、2歳とセリに出しても売れないような馬で、決して期待されていたわけではなかった。2歳時に3戦1勝2着2回。3歳2戦目のサンタアニタダービーを11馬身差で圧勝してようやく注目を集めた。しかし、同日のゴーサムS(GU)で良血のEasy Goah(父Alydar)が13馬身差で勝ったため、 三冠初戦のケンタッキーダービーでは圧倒的1番人気のEasy Goahに次ぐ2番人気だった。ここで追い込んだEasy Goahに2馬身半差をつけて完勝したものの、二冠目のプリークネスSでも1番人気はEasy Goah。今度はEasy Goahが先に仕掛けるが、ゴール前ハナ差交わした*サンデーサイレンスが二冠を手にした。三冠がかかったベルモントS、とうとう*サンデーサイレンスが1番人気に推されるものの、Easy Goahがあっけなく勝利。Easy Goahとの4度目の対戦はブリーダーズカップ・クラシック。1番人気はEasy Goahに譲ったものの、追い込むEasy Goahをクビ差抑えたところがゴール。同年の年度代表馬に選出される。その後直接対決はなく、*サンデーサイレンスの3勝1敗であった。
 引退した*サンデーサイレンスは、A・ハンコック氏の牧場で種牡馬入りする予定であった。しかし、Easy Goahが高額の種付け料でも申し込みが殺到したのに対して、それより低い種付け料の*サンデーサイレンスにはほとんど申し込みがなかった。そこで権利の一部を保有していた社台ファームがトレードを実現させたのである。当時、EVワクチンを接種すると日本に輸入できなくなるところだったが、接種直前にトレードが成立した為に、*サンデーサイレンスは日本に来る事になった。
 西洋では古来から青毛、青鹿毛は不吉な色とされているらしく、アメリカが*サンデーサイレンスを手放した本当の理由は案外この辺にあるのかも?
 1991年に日本で種牡馬入りした*サンデーサイレンスは、初年度産駒から、フジキセキ(朝日杯3歳S)、ジェニュイン(皐月賞、マイルCS)、タヤスツヨシ(日本ダービー)、ダンスパートナー(オークス)、マーベラスサンデー(宝塚記念)を送り出すと、2年目にはイシノサンデー(皐月賞)、バブルガムフェロー(朝日杯3歳S、天皇賞・秋)、ダンスインザダーク(菊花賞)を輩出し、わずか2世代で牡馬クラシックを完全制覇。次の世代で、サイレンススズカ(宝塚記念)、4世代にスペシャルウィーク(日本ダービー、天皇賞・春、天皇賞・秋、ジャパンカップ)、5世代目にスティンガー(阪神3歳牝馬S)、アドマイヤベガ(日本ダービー)、トゥザヴィクトリー(エリザベス女王杯)を出す。6世代目にエアシャカール(皐月賞、菊花賞)、アグネスフライト(日本ダービー)、チアズグレイス(桜花賞)を出しクラシック完全制圧。7世代目もメジロベイリー(朝日杯3歳S)、アグネスタキオン(皐月賞)、マンハッタンカフェ(菊花賞、有馬記念、天皇賞・春)と、その勢いは留まるところを知らない。
母の紹介
キャンペンガール
1987年 門別産 鹿毛
父:マルゼンスキー 母:レディーシラオキ 母の父:*セントクレスピン

繁殖成績
誕生日 毛色 産駒の登録馬名 厩舎  競走成績
1991年 4月 21日 鹿毛 *パドスール 美浦:秋山雅一  未出走
1992年 4月 9日 鹿毛 オグリキャップ
1993年 4月 13日 栗毛 *ヘクタープロテクター オースミキャンディ 栗東:白井寿昭  3〜4歳時 7戦2勝
1994年 4月 17日 栗毛 サクラユタカオー リネンタイヨー 栗東:浜田光正  未出走
1995年 5月 2日 鹿毛 *サンデーサイレンス スペシャルウィーク 栗東:白井寿昭  2〜4歳時 17戦10勝

 1987年4月19日生まれのキャンペンガールは、名牝シラオキの血をひき、*ヒンドスタン、*セントクレスピン、マルゼンスキーと、その時代の一流種牡馬を交配されてきた、日高大洋牧場の期待の馬であった。
 栗東の小林稔厩舎に入厩したキャンペンガールだったが、気性の荒さからデビュー前に厩舎の洗い場で暴れて脚にケガを負い、未出走に終わっている。しかし、血統の良さから繁殖牝馬としての牧場の期待は高かった。
 母の気性の荒さは仔馬にも受け継がれた。初年度産駒の牡馬は虚勢手術までしたが、結局競走馬としては全く活躍できなかった。2番目の牡馬も気性が荒く、放牧中に骨折し、競走馬にはなれなかった。3番目の牝馬は白井厩舎で2勝をあげたが、ゲート試験になかなか合格しないなど、気性の荒さは持っていた。4番目の牝馬は兄姉以上に気性が荒く、競走馬としては全く活躍できなかった。
 産駒をレースに出す事さえ難しい母であったが、牧場の期待の高さを表すように、5年目には、初年度産駒が既に朝日杯3歳Sを制するなど活躍が目覚しい*サンデーサイレンスを交配された。気性の荒い母に気性の激しい父を配合するのは危険を伴うが、それをふまえても魅力のある配合であった。
 *サンデーサイレンスを受胎したキャンペンガールだったが、出産予定の半年ほど前から疝痛に苦しみ始め、数ヶ月後には、腸炎により腸の一部が壊死するという、生命の危機といえる状態に陥った。牧場スタッフの努力により、5月2日まで持ちこたえたキャンペンガールであったが、5番目の牡馬を出産すると、乳を与える事もなく息を引き取った。スペシャルウィークと名付けられた牡馬は、そんな母の忘れ形見なのである。

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