母系の母の紹介 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
レディーシラオキ 1978年 浦河産 鹿毛 58戦4勝 父:*セントクレスピン 母:ミスアシヤガワ 母の父:*ヒンドスタン
名牝シラオキの血を求めて、やや傍流とも言えるウインナーの仔タイヨウシラオキを購入した日高大洋牧場であったが、そのタイヨウシラオキがコーリンオーを輩出し、牧場に初の重賞タイトルをもたらしたのである。そうなるとさらに良い血統が欲しくなるもので、親交のあった浦河の鎌田牧場へ出向き、当時、破格の値段で輸入されてきた*セントクレスピンの種付けとの交換をもちかけた。中央で2勝をあげたミスアシヤガワに*セントクレスピンを無料で種付けし、牡馬が生まれたら鎌田牧場に、牝馬が生まれたら日高大洋牧場が買い取るという約束を取り付けたのである。めでたく生まれた牝馬は、こうして日高大洋牧場に来ることになり、レディーシラオキと名付けられた。 *セントクレスピンを父に、祖母シラオキの父に*プリメロを持つレディーシラオキは、*セントクレスピンの祖母Harina=*プリメロの3×3の全血クロスを持つことになる。*プリメロは日本で多くのクラシック馬を出し続けた大種牡馬で、その活力がスペシャルウィークへと受け継がれていくのである。 ※この文章は、書籍の記述を元に自分なりの解釈で書いたのですが、発表してから随分経ってからのこと。コーリンオーの重賞勝ちとレディーシラオキの誕生では、レディーシラオキの誕生の方が早かったことを指摘する人が現れました。確認してみると、コーリンオーは1981年生まれ。対してレディーシラオキは1978年生まれで、誕生自体レディーシラオキの方が早かったのです。確認ミスであったことをお詫び申し上げます。 |
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ミスアシヤガワ 1964年 浦河産 鹿毛 30戦2勝 父:*ヒンドスタン 母:シラオキ 母の父:*プリメロ
父*ヒンドスタンの祖母の父と、母シラオキの祖父がともにBlandfordで、4×3のクロスとなる。Blandfordは脚部不安の為、わずか4戦で引退したが、3勝はいずれも楽勝だった。産駒にBrantome(凱旋門賞)、Blenhim(イギリスダービー)、Bahram(イギリス2000ギニー、ダービー、セントレジャーの三冠馬)など、中長距離に抜群の適性を示したステーヤーを次々と輩出した。 |
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シラオキ 1946年 岩手産 鹿毛 48戦9勝 父:*プリメロ 母:第弐スターカップ 母の父:*ダイオライト
シラオキが名牝と呼ばれるのは、牝馬ながらダービーで2着した自身の競走成績だけでなく、産駒が走り、なおかつ産駒が次々と活躍馬を輩出したからである。 特にワカシラオキの系統は、繁殖成績に優れており、直仔が重賞を勝ち、また3代4代後の末裔(シスタートウショウ・桜花賞、マチカネフクキタル・菊花賞)がクラシックで活躍。フロリースカップ系のなかでもシラオキ系を確立し、その本流となっている。 戦後の財閥解体の中で、小岩井農場を経営する三菱財閥も解体されて、小岩井農場は酪農に転換した。こうしてサラブレッドの生産の中心は、北海道へと移った。 |
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第弐スターカップ 1937年 岩手産 栗毛 父:*ダイオライト 母:スターカップ 母の父:*シアンモア
父*ダイオライトの3代父と、母スターカップの父*シアンモアのブルードメア・サイアーが、ともにOrby(イギリスダービー、アイルランドダービー)で、第弐スターカップはOrbyの4×4のクロスを持つ。20世紀初頭に、Orbyの産駒The Bossを祖とするスピード型として繁栄するも、半世紀ほどで衰退している。日本ではOrby直系の末裔に、サクライワイ(スプリンターズS2回、安田記念)などがいる。 |
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スターカップ 1930年 岩手産 鹿毛 父:*シアンモア 母:フロリスト 母の父:*ガロン
父*シアンモアの母Orlassが、祖父の母Angelicaと母の祖父St.Simonの、3×3の全血クロスをもっており、加えて母フロリストが、父*ガロンの母の祖父にSt.Simon、母第四フロリースカップの3代父と母の祖父にもSt.Simonをもっている、Angelica=St.Simonの5*5×5*5*5というクロスとなる。St.Simonの塊。 |
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フロリスト 1919年 岩手産 栗毛 父:*ガロン 母:第四フロリースカップ 母の父:*インターグリオー
母の第四フロリースカップがSt.Simonの3×3のクロスをもっていた上に、父*ガロンのブルードメア・サイアーがSt.Simonの直仔で、フロリストはSt.Simonの4×4*4のクロスを持つ。 |
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第四フロリースカップ 1912年 岩手産 黒鹿毛 父:*インターグリオー 母:フロリースカップ 母の父:Florizel
父*インターグリオーの祖父、母フロリースカップの祖父がともにSt.Simonで、第四フロリースカップはSt.Simonの3×3のクロスを持つ。St.Simonは、アスコットGC(20F), グッドウッドC(20F)などイギリスで10戦10勝の名馬。1890〜96、1900、01イギリスリーディングサイアー。「サラブレド史上最も偉大な父」と呼ばれ、20世紀初めは世界中がこの血をもつ馬で溢れていた。血の氾濫のしすぎから一時衰退したが、Ribot、Princequilloなどの活躍で復活。 |
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フロリースカップ 1904年 イギリス産 鹿毛 父:Florizel 母:Stirrup Cup 母の父:Melton
1908年(明治40年)、小岩井農場がイギリスから、種牡馬*インターグリオーとともに、20頭の繁殖牝馬を輸入した。そのうち以下の12頭は小岩井牝系として、現在もその血統を受け継がれている。
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