(C)TOSS-TWO-WAY/兵庫県佐用郡三日月小学校/総合的学習の時間/食を見なおそう!/6学年

アフリカの飢えた子ら(民衆社)より
 


 1968年から1974年にかけてアフリカを襲った大干ばつは,エチオピアの人達にも大打撃を与えました。
 とにかくその間ほとんど雨が降らないのです。さらにその被害から充分に回復もできないまま,追討ちをかけるようにまた干ばつが襲ってきたのです。
 畑の表面は石ころが露出して,デコボコになっています。雨が降らないので雑草も生えないのです。家畜の被害も大きく,イプナット村というところでは既に,1万頭以上の家畜が死んだのです。
 その被害は人間にも及び,極度の飢えや,飢えからくる病気,さらには救護設備や毛布などの不足によって,現在もおびただしい数の人が毎日死んでいきます。
 現在,エチオピアでは,毎日1000万人以上の人が飢えに苦しんでいます。しかも毎日20万人近くの人が死んでいきます。
 担架に乗せられたその死体が,小高い丘をかつがれていきます。ほとんどが母親とその半分ほどの大きさの子供の死体です。
 バディー被害者センターでは,食料を求めて1日1000人の割合で被害者が収容されます。配給される食糧は,わずかなビスケットと粉ミルクだけです。ビスケットを粉ミルクに混ぜ,水にとかして流動食のようにして食べるのです。栄養不良で体力が落ちいているからです。しかもその食事は1日に1回なのです。
 子供達は空腹と顔にまとわりつくハエにいらだって泣き出します。するとまたハエが集まってくるのです。ハエも水分を求めてやってくるのです。目にも,口にも押し寄せます。
 しかしまだこんな赤ん坊はいいのです。泣けるだけの体力があるのですから。顔に無数のハエがたかっても,払いのけるでもなく,元気も失せて,ただボーとしている子も実に多いのです。
 センターでは,収容人数をはるかに超え,病人にもベッドがない状態なのです。点滴もテントの外で受けるといったような状態です。昼間は30度を越える気温も夜になると5度前後に下がり,その寒さのせいで死んでしまう人も多いのです。
 とにかく目の前で次々に人が死ぬのです。1日目65人,2日目92人,3日目は70人という具合に・・・。もう丘のセンター側の斜面は,墓の土盛りでいっぱいなのです。
 センターで働くイギリス人医師は,次のように語っています。「とにかく,今必要なのは食料と毛布なのです。」と。この人達の命をつないでいるのが,わずかな粉ミルクとビスケットなのですから・・・。
 しかし,このわずかな食料を求めて現在も餓えた人達がこのセンターに収容されるのです。もし,充分な食料があったならば・・・。でもここには限られた量の救助物資しかないのです。


      注・・・「アフリカの飢えた子ら」(民衆社)の内容を部分的に抜粋し,再構成した。