開基は一乗寺と同じく法道仙人と伝えられる。
法道仙人は天竺(インド)のから紫の雲に乗って来たとも、中国、朝鮮半島を経由したとも伝えられる半ば伝説上の人物である。
もとは現在地よりも北にある権現山にあったとされるが1189年にこの地に再建された。
直距離にして1.5km北北東には源平一ノ谷の合戦の前哨戦とされる三草山の戦い(1184年)の古戦場があり搦手率いる義経が活躍した。
この地からも三草山山頂が眺められるが、この三草山の合戦の数日後には義経は一の谷において鵯越の逆落としの奇襲を行うこととなる。
朝光寺が三草山の戦いにおいて焼失したかどうかについては不明であるが、寺記によると権現山山頂が狭隘なため伽藍を移動し、そのときに定朝作の千手観音、不動、多聞を安置したとある。(1189年)
朝光寺の初期の歴史については資料も少なく不明な点が多いが、1413年には京都三十三間堂から千手観音1躯が安置された。
この観音像は仏師運慶の子、湛慶もしくはその側近の作とされている。
1509年には赤松義村が伽藍を修復したとあり、現存の本堂の再建も1413年の本尊安置より厨子裏の墨書きにあるとおり1428年の瓦葺完成の頃であろうと考えられている。
宗派 高野山真言宗
所在 加東市畑609
拝観料 無料
拝観時間 いつでも
建造物
国宝 本堂
重文 鐘楼
県指定 多宝塔
木像千手観音 2躯
鰐口
太鼓
鬼追桶
つくばねの滝 |
中国道、滝野社ICを東へ7〜8km、東条湖方面に北進し東条湖CC手前の三差路を標識に従って左に行くと塔頭らしき寺院が見えてくる、吉祥院と總持院である。 ここからでもすぐに朝光寺にいけるのだけれども、駐車場の案内にしたがって朝光寺参拝の駐車場から参拝したい。 ここからだと小川沿いの森の小道を進んで「つくばねの滝」を眺めることができる。 静寂の中せせらぎの音を聞きつつまだ見ぬ古寺に思いをはせながら歩いていくと正面に見えてくる小さな滝が「つくばねの滝」 このあたりに自生する天然記念物のつくばねと言う植物が名前の由来らしい。 つくばねとは果実が羽子板でつく羽に似ていることから衝羽根(つくばね)とよばれるとのこと。 |
つくばねの滝のすぐ左にはもう山門に続く階段がひっそりと姿をのぞかせている。 木々の茂みの間からわずかに木漏れ日の差込む中おもむきのあるちょっとさびしげな参道の階段をゆっくりと踏みしめていく。 、心が本堂への出会いにわくわくするなか、自分の身体が苔むした足元の石段から1歩1歩と進むにしたがって何百年の歴史を隔てた昔に出迎えてくれているようなそんな気分を感じさせてくれる。 上り終わる頃になると山門あいだからから見える本堂の堂々とした姿にはっとさせられる。 決して広くない敷地内に、森に包まれた山の中にあるとは思えないほどの伽藍に太古の威容を感じる。 |
山門への階段 |
山門 |
山門をくぐる前から本堂の威容に心躍らされ本堂へとはやる気持ちを抑えながら、まずは順序に従って山門から見ていくことに。 説明板には文治年間(鎌倉初期)との記述があるが建築の形式からいうと江戸初期から中期の様式を示しているらしい。 屋根部分は入母屋造りで本堂から見ると少々小ぶりな感じがある。 部材の所々に傷みがあるが、しっかり立っている。 仁王像が小川のほうを向いて立っている姿を見ていると、インドシナ半島の映画などでよくあるジャングルの中から涅槃像がほとんど人目に触れることなく横たわっている姿を垣間見るような気分になる。 |
続いて多宝塔。 山門から入ってすぐ右側にある。 伽藍配置はこじんまりとまとまっているので広さはあまりない。 案内板によると現存する多宝塔は関が原の戦いの1年後の1601年に姫路城主、池田輝政により再建。 二層建ちで初層の屋根と二層目の屋根垂木の形式が違っている。 二層目の四隅の垂木が扇型になっている。 円形の中央部分と四方に広がる垂木が美しい。 相輪(多宝塔の上に立っている角のようなところ)は赤茶にさびていて水煙(先っぽ近く)が珊瑚のような形をしている。 白壁が西日に照らされて美しい、二層目の首の部分が少し白く見えているのもハイネック姿のようで面白い。 |
多宝塔 |
鐘楼 |
多宝塔から左方向、本堂の右側奥に護法社と鎮守社がある。 桧皮葺の小さな祠で雨に当たらないように屋根がつけてあるがもうぼろぼろで少しかわいそうな感じさえする。 他の国宝寺院に比べて拝観料も取らず自由に拝観できる反面、「修復費用がかかるのかなあ」なんて懐事情を考えてしまう。 すぐ横には重文の鐘楼があるが、こちらはさすがにぼろぼろな感じはない。 和様様式で鎌倉後期の特徴があるらしい。 本堂の建立よりも早いとみられている。 袴腰造りで軒が長く参勤交代の江戸武士のように見える。 鐘の音を聞いてみたい。 |
いよいよ本堂である。 はやる気持ちを抑えてまわりより参拝してきたが、いよいよとなると少々どきどきする。 播磨にある他の国宝寺院はそれぞれに素晴らしいし立派でもあるのだが、やはり参拝時間や参拝に料金がかかるのため少し人為的になるきらいがある。 その点ここは参拝者も少なく趣きがあって個人的には大好きである。 建築形式は和様と禅宗様の折衷様式であり、正面の向拝は1829年に付け加えたものらしいがそれ以前の姿も見てみたい。 |
本堂 |
本堂正面 |
本堂正面は中央の扉が片方だけ開かれていて、後はすっきりとしている。 この扉は桟唐戸(さんからど)らしく禅宗様の扉である。 上部は格子になった連子(れんじ)で作られ、中、下部は十字にはめ込まれた桟と入子板(いれこいた)で軽量化が図られている。 5月5日は室町時代起源の鬼追踊、鬼まつりが催されているが、ぜひ5月にも訪れてみたい。 |
堂内に入ってみた。 このときは誰もおらず静かな空気の中、真っ暗な堂内に一人でいると心顕われる思いがした。 内陣と外陣は格子戸で仕切られており、内部は確認することができない。 目が慣れるにしたがって連子窓から差込む光が堂内をほのかに明らめてきたが正座をしてしばしのあいだ目を瞑ってみた。 心の洗濯という言葉があるが一人で太古の昔に思いをめぐらしてみると、身体が入浴後さっぱりするのと同じように、心の中が妙に洗い流されたような気がした。 |
本堂内 |
朝光寺のおもな文化財
朝光寺古寺巡礼