極楽山浄土寺

 浄土寺の起源は今は廃寺で西方数キロ先にある広渡寺。

 現在は廃寺跡歴史公園になっていて広渡寺の伽藍模型がある。

広渡寺の建立は奈良時代中期(700年中頃)日本最初の大僧正「行基」と言われている。

 その後荒廃していく広渡寺を奈良東大寺復興の「重源上人」が自身が開発したこの地大部荘に浄土寺として再興し広渡寺本尊を浄土寺薬師堂(本堂)に安置した。
 時を同じくして浄土堂(阿弥陀堂)も建立。(1192年)

 自身が宋より持ち帰った豪放で合理的な建築技術を駆使し、後にこの建築様式は大仏様(天竺様)と呼ばれるようになった。




宗派    高野山 真言宗

所在    小野市浄谷町2094

拝観料   国宝浄土堂内 500円

拝観時間 4〜9月  9時〜12時 13時〜17時      10〜3月  9時〜12時 13時〜16時

浄土寺の主な文化財

       建造物             彫刻

       国宝 浄土堂(阿弥陀堂)     国宝 阿弥陀如来立像
                          観音菩薩立像
       重文 本堂(薬師堂)          勢至菩薩立像
         (八幡神社部)本殿
         (八幡神社部)拝殿      重文 来迎の阿弥陀立像
                          重源上人坐像
       県文 開山堂              二十五菩薩面×25
          鐘楼
                          県文 鬼面×2


       工芸              絵画

       重文 銅製五輪塔         重文 真言八祖図×8
          銅製鉦鼓              仏涅槃図
          黒漆蝶型三足卓×2
       

極楽山浄土寺巡礼


鐘楼
 小野市東方は丘陵地帯が多い。
 田園の中の小さな丘陵地、西尾根の先端に西方浄土を見渡すかのように浄土寺境内が広がっていた。
 東大寺の荘園内に建立された大仏様建築の威容が当時の面影を映し出す。

 平安末期の1180年、平重衝の南都焼き討ちで焼失した東大寺大仏殿の再興総責任者となった重源上人は、全国7ヶ所に再興の拠点として別所を造った。
そして播磨の別所に選ばれたのがこの地である。
 最盛期には14もの塔中寺院を持ち、浄土堂内には名仏師快慶作、総丈8.3mの阿弥陀三尊を安置する。


浄土堂の北側から境内に進むとまず目に飛び込んでくるのが県文化財の袴腰付鐘楼である。

江戸初期1632年建立の鐘楼の歴史については詳しいことは分かっていないが桧皮葺の立派な鐘楼である。
 鐘楼のすぐ東隣には八幡信仰を重視していた重源によって室町期1235年に建てられた重文の八幡神社がある。

 寄棟の折衷様式で写真に写っているのは本殿前にある拝殿である。

 天井の無い造りは木組みの様子が間近に見られて良い勉強になった。

 その後に見学することになる浄土堂も内部は天井が無く立派な造りであったが、阿弥陀如来と共に撮影禁止になっていてここで紹介することが出来ないのが残念である。

八幡神社拝殿

不動堂
 拝殿の東側、境内の北東端にあるのは不動堂。
不動堂の北側より裏山に浄土寺裏山八十八ヶ所巡りのコースがある。

 江戸後期の文化・文政年間ごろに造られたと見られ、当時から盛んであった四国遍路の憧れから造られたものと見られている。

 1週800m約30分のお遍路めぐりは境内や小野の展望とプチ遍路の気分を味わうのには最適。

 散策道には八十八体の本尊石祠がある。
 境内の東側、中央にある池をはさんで浄土堂とは対角線上にあるのが重文の本堂(薬師堂)である。
 本堂建立は浄土堂建立後5年目の鎌倉初期の1197年。
当時の本堂は浄土堂と対を成す造りであったと伝えられるが1498年に焼失、その後1517年に再建された。

随所に天竺用が用いられているものの和様、唐様の造りも見られる折衷様である。
 宝形造りの屋根が大変美しく本堂らしい威厳を感じる。

浄土堂と同じく内部を見学したかったが、内部を見ることは出来なかった。
機会があれば是非内部に入ってみたい。


本堂(薬師堂)

開山堂
 境内の東南端にあるのが重源上人を祀る県文化財の開山堂。
 本堂と同じく焼失し本堂と同時期に再建された。

中にはほぼ等身大の重文重源上人坐像が安置されている。
 1206年6月4日東大寺浄土堂において86歳の生涯を終えた重源上人は1234年上人の彫刻が奈良の地よりこの地に移され1256年開山堂に安置された。
 いよいよ浄土堂である。
 和様建築全盛の平安時代も終焉に向かい宋より大陸伝来の大仏様(天竺様)建築様式が伝わってくる。
 この建築様式は合理的で豪放な時代の先端を行く様式であったが、その荘厳豪放さゆえ日本人には受け入れられず、その後、折衷様式の中で取り入れられていく。
 日本で現存している大仏様式の建築物は2棟、浄土寺浄土堂と東大寺南大門だけである。

 焼失した奈良東大寺大仏殿創建のさきがけとして建築された浄土堂であるが、結局1190年再建の大仏様建築の東大寺大仏殿は戦国時代の1567年松永久秀により焼失し現存する大仏様のお堂は浄土寺浄土堂のみとなった。

浄土堂(阿弥陀堂)

浄土堂正面
 朱に彩られた浄土堂は1957年昭和32年の解体修理により復元されたものだが、建物自体は1192年の昔から一度も解体修理されること無く現在までの770年余りを風雪に耐えながら今に至っている。

 堂内は総丈8.3mの大仏ともいえる阿弥陀三尊が黄金の輝きの御姿で御立ちになられている。

 夕刻ともなると蔀戸からの夕日が背面より照らされ極楽浄土来迎の姿として御姿を浮かびあがらせる様は素晴らしいの一言。

 建造物に興味を持たれた方は内部の建築様式も見逃せない。