第2部

このページは過去に表紙を飾った写真をまとめていきます。

右の写真は先々代屋台新調と塗り、修理、宮の屋根替の寄付帳です。(個人蔵)
 以前よりこのような寄附帳が残っていることは知っておりましたが、この度内容を詳細に調べました。
 それによると、先々代屋台新調は昭和3年10月、御大典が11月、国恩祭が昭和4年4月となっております。
 そもそも福泊神社は国恩祭がない。また的形湊神社の国恩祭が昭和4年4月である事から、当時の湊神社の国恩祭に福泊も屋台を出したのではないかと思われます。
 また、漆塗りは昭和5年となっており、白木で2年間、昭和3年10月祭り、昭和3年11月御大典、昭和4年4月国恩祭、昭和4年10月祭りと4回、入魂式などの記述はありません。
内容で読める物で面白い物をピックアップしてみます。
・壱百五拾円也 但し紋四ツ練子襦袢全部 **(名前、個人で寄付)
・壱百参拾円也 但しソーサバナ四ツ    **一同(身内一同で寄付?)
・壱百参拾五円也 但し大幟壱本      ** **(連名 二人で寄付)
・高欄函幕函 ○○(金額記載無し、物を寄付)
・頭巾四ツ ○○(金額記載無し、物を寄付)
等が個人寄付、後は皆のお金寄付で購入したようです。福泊に良くある名前や宮の玉垣の名前と同じ名前ばかりです。
次に支払い内容は特に面白く、升代、大工賃、シャツ代、ザコ代、魚代、正ゆ炭代、梨代、見舞料、使賃、宮割、長やぶりうどん代、カザリヤ祝儀、ナスタジン代(ナフタリンと思います。)、等々。
 特に多くを中野と姫路河野に払っています。昭和23年の支払い帳にメッキ中野金具店と書かれているので金具屋と思われるが姫路河野は何屋さんなのか?
 青年会網干行き、姫路行き、こせ(絹常または周辺の刺繍屋と思われる。)行きの費用がチョコチョコ発生している。
 昭和4年に大工々賃として福中豊次さんに少しだけ支払いがある、軽い修理と思われる、昭和23年にも7百円ほどの支払いが福中豊次で上がっている。柴田材木店で1千300円ほど購入している。福中豊次さんは児嶋の大工で多くの小宮などを手がけて居られるため、屋台新調の大工の可能性が高い。
 また度々見舞料が名前入りで記載されている、しかも硝子破損料とか弁償料なども記載されている。怪我や事故が多かったようです。
 こう言う資料は、とてもおもしろいし、貴重な福泊屋台の歴史です。是非ワレこそは!と思う方読んでください。

地の旧屋台 棟の中

あまり見る機会のないと思われる棟の中です。
地の旧屋台は芯柱のある造りで重かったようです。
古い屋台や、浜手の中でも特に頑丈として名高い大塩西之町などは今でもこの造りのようでとても重くとても頑丈らしいです。

地も頑丈作ってたようですが、最近的形では練り方も穏やかで屋根どうしガンガン当てるような練り合わせも無くなってきたので今回新調の屋台は芯柱はなくなるようです。

久しぶりの的形の新調屋台。楽しみです。

過去表紙の中でも結構好評でした。福泊の前後の蝶です。

前はメスで銀、後ろはオスで金
写真ではわかりづらいですが前の蝶は頭が割れて、後ろの蝶は頭が割れていない。
子孫繁栄を願って女性器と男性器をイメージしているらしいです。

阿吽(あ・うん)みたいなものですね。

物心付く前の祭りで、ごてる私を近所のおばちゃんがおんぶして『ほら見てみー、福泊のヤッサは蝶々が飛んどんねんで!』と言うとのを何故か今でも覚えています。

毎年1週間ぐらい前になるとヤッサに金物が付き何人もがチェックしに来るけど、皆とりあえず本棒の先でヤッサ揺さぶって蝶の動きを見てニヤッとしてますね。
『よー動っきょんのー!』とか訳わからん事言うたりしてますが、皆、菊水と蝶にはとても愛着があるようです。
福泊には変えてもええ物と変えたらアカン物がハッキリしています。中でも菊水と蝶は皆さんの愛着も飛びぬけてます。永遠に守りたいと強く思います。