このページは過去に表紙を飾った写真をまとめていきます。

福泊と言えば菊水
菊水と言えば福泊

とは言われてませんけど、ほんまに自分の村を自慢すんのも何なんですが、福泊にも播州一がありました!これは、そこら辺の菊水には負けへんでしょう。
近年菊水紋も増えだしましたが福泊氏子では到底だれ一人として納得せんレベルの物しか出来ておりません。
よって菊水新調はありえない、あってはならない、あったとしても出来ない。

以上の理由で今後さらに大切に!

平成十八年十二月三十一日
湊神社 地村旧屋台最後の勇姿

昭和50年から平成18年まで幾多に激戦を繰り広げ損傷の激しさに惜しまれながらも屋台新調となりました。
来年は地元棟梁により新調された地のヤッサが登場します。
正角を手がける彫刻師は、たまたま昔に地の天神さんの新調大工さんのお孫さんにあたるとかで、この屋台は相当期待出来ますよ!
役者は揃った!


平成十八年の最後は連勝!

この勢いのまま十九年も全勝目指してがんばりましょう。
やっぱり福泊は最強でした。

地蔵盆

昔は大勢の人で賑わった地蔵盆も今は福泊の人だけの小さいカラオケ大会と盆踊り。

福泊なのに八家地蔵
今も地蔵さんは子授けで有名で地蔵さんにある小さい地蔵さんを持って帰ったら必ず子供が出来るらしく遠方よりたくさん来られています。

湊神社輪抜け祭り

毎年7月1日に行われ多くの子供でにぎわいます。
結構各地にある行事らしいです。

輪を抜けて半年分の邪気を払う行事で普通は6月の最後にするのが一般的なんですが、何故か的形は7月1日です。

福泊神社春の風景

数は少ないですがなかなか毎年綺麗に咲いています。
向かって右側はソメイヨシノが数本、左側は山桜が数本少しだけ時間差で咲きますので長い間花見を楽しめます。

福泊神社本殿は平成十三年八月二十三日に姫路市の文化財に指定されました。室町時代の建物のようです。

地と北山河の練り合わせ

地のヤッサは昭和50年新調。
北山河は昭和58年新調。

近年、地のヤッサは露盤、綱、高欄掛等を次々と新調。練り合わせに賭ける気持ちは的形一です。
地村にある的形天満宮の梅鉢紋や総才端の日輪と月光も渋い。
また地の龍紋が個人的に好きで威圧感を倍増させます。
狭間も年代物で柱間3尺の大ヤッサで見所たっぷりです。

北山河は所帯数が一番少ないにも関わらず練り子の声も良く出ており非常に高級な高欄掛を新調したり祭りに掛ける意気込みは的形一です。
かなりの年代物の露盤と狭間は浜手一円では最古級で価値ある一品です。菊水紋の水の流れも激しい細工で荒々しい練り方をいっそう引き立てます。

毎年、的形駅で地と北山河の綺麗に電飾されたヤッサが何度も練り合わせを見せてくれます。本当に最後の力を出し切って悔いのない祭りにするようにがんばる2台のヤッサは感動的です。

福泊と児嶋の丁度境で最後の練り合わせ。
何も言う事はないです。

ここで負けたら一年間言われつづけます。絶対に負けられん練り合わせです。

      福泊村 太鼓打ち襦袢と頭巾

襦袢は刺繍の金糸が切れたり、袖が幕に付いてる牙に引っ掛けて裂けたりしています。
新調を待ち望んでいますが何せ170世帯の村ですから、次々と新調するのは厳しいようです。
そんなに高価な物ではありませんが、今となっては、ええ物です。

頭巾は平成十六年新調
頭巾も見えない部分に絹常の銘が入っています。
ピンと立てるように畳表が入っています。表地は白羅紗で絹(塩瀬)に比べても非常に重たく数分で頭が痛くなります。
でもやっぱりヤッサの頭巾は羅紗やないとアカン。

戦後まもなくの福泊のヤッサです。

湊神社に宮入後の写真だと思います。
繻子の締め込みに下がりが時代を感じます。
昭和三年新調、昭和六十二年までの約六十年間福泊村民に練られてきました。
非常に泥台と本棒が長く福泊の宮から下ろす時は宮の池のガードレールを外して出してた記憶があります。
昭和五十四年に漆塗り替え総メッキと衣装総新調してからは非常に綺麗なヤッサでしたが下回りにガタが出だして59年頃には泥台が割れたり四本柱が折れたり井筒を新調したり修理もしましたが最終的に本棒が限界で平成元年に新調する事になりました。
柱間二尺八寸